一粒で二度美味しい
息子が昨夜帰ってきた。
単身赴任の夫のところへ2泊、遊びに行っていたのだ。
「3っ日間の間、一度も揉めなかった」
「そりゃあ、直前にあれだけ揉めて行けばね」
一人で生活している、息子命の夫にとってこの訪問は相当楽しみだったようだ。事前に切符を買ってやり、ひと月ほど前から「車の運転練習しような」「どこか行きたいところあるか」と盛り上がっては息子にめんどくさがられていた。
それが前日の夜になって、明日からの旅行の最終確認をしている段になり突然、喧嘩が勃発、「俺行かね」と息子は拗ね、間を取り持とうと夫に電話をしても、こっちはこっちで呼び出しに反応しない。私もしまいには「勝手にせい」と眠りについた。
それでも諦めきれないのは私の方で、結局翌朝、夫を叩き起こすように電話をし、寝ぼけているところに一発、「どういうつもりじゃ!」と喝を入れ、ギリギリのギリギリで、無事仲直りした二人は予定通り、旅をすることになったのだった。
やれやれである。
息子が嬉しそうに手をふって出ていくのを見送ったあとは、やれやれやれやれ・・・勘弁してくれよぉ・・どっと疲れ、ベッドへと倒れ込んだ。
短い私の貴重な夏休み。最初からそのつもりで2人に提案したのだ。
この夏は暑さと夫の長期休暇帰省と、大学生の長い長い夏休みで勝手気ままの息子、久しぶりの家族一泊旅行と、限界に近かった。体重も減り、顔はやつれ、鏡を見るのも恐ろしい。こうなってくると、もはや新しい服を買ったり、美容院に行ったくらいでは持ち直せない。第一、そんな気力もない。
2人の旅行が決まった時から、私は密かに、この二日間、どうやって過ごそうかと想像してはニンマリしていた。そして、それだけを心の支えとして、やってきたのだった。
1人だから、お化粧もしないでふらっと映画を見に行っちゃおう。
そして帰りに本屋に寄って、ぶらぶらして、美味しそうなお刺身でも買って帰ろう。
神保町に行くのもいい。時間に追われず本屋をうろついて、喫茶店で買ったばかりの本を読んで。
行ったことないからスカイツリー、登ってこようか。
とんでもない、それどころじゃない。立っていられないのだ。だるくて神経も脳も疲れ切っていて、とにかく横になりたい。
勿体無い。勿体無い。こんなことしている場合じゃないでしょうよ、私!
諦めきれず、Amazonプライムの映画をつけてみたが、画面を追いかけることすら億劫で消した。
静寂が戻ってくる。
・・・あぁ。・・・これだ。これなのだ。今の私が欲していたものは。
映画も本屋もぶらぶら歩きも、秋が深まってから行けばいい。
何も息子がいたらできないことじゃない。
これこそ、贅沢な時間というものだわいのう。
気がつくと外は暗かった。7時か。少し眠っていたのか。
携帯には息子から、これから出発するだの、いま到着しただのとラインがいくつか入っている。あれだけゴタゴタしておいて、けろっとこういう無邪気なメッセージを送ってよこせるのは夫譲りだと思う。
了解、よかったね、とスタンプを送ると、トトロが満面の笑みのスタンプが戻ってきた。
お刺身どころか、何にもない冷蔵庫から昨日の残りの鮭の塩焼きに蒸し鶏、ほうれん草のお浸しを取り出す。インスタントの味噌汁と冷凍チンしたご飯。
うむ、これはこれでうまい。
翌日も、起きたい時間に起き、食べたくなったら、チーズトーストを焼き、ゴロゴロやっているうちにこれといったこともなく終わった。
あれをしようこれをしようと想像してはワクワクしていた時は高揚感にうっとり過ごした。
実際では、ただだた思うがままに過ごし、高揚も盛り上がりもない代わりに静寂と静養を堪能した。
どっちも美味しく味わえた夏休み。
秋がはじまる。
オリジナル
自分の日々の生活。
書く内容。文体。
いつもフワフワしていて、軸が、ない。
毎朝の散歩も歯をくいしばって行ってたときもあったが、やめた。好きで行くならいいが、修行のように己を奮い立たせて歩きにいくのは、おかしいということにやっと気がついたのだ。
ステキなあの人のライフスタイル。そういう軸が、無い。
毎日好きなことで埋めていきたい。
家族と暮らし、友人や近所との付き合いも大切にしたいと思うと、まるごと自分の時間というのは案外短い。細切れにあるその時間を、鍛練などに費やすほど本来の私は立派な人間ではない。
暇さえあればぐうたらし、ドラマを観たり軽いエッセイや物語を読んだり、空想したり。
神保町を歩いて喫茶店でぼんやりしたり。
ちっとも社会性も生産性もないけれど、わたしの周りにはいつも時間はゆっくり流れていた。
息子はいつか社会にお返しする預かりものだと思っている。神さまから預かっているこの男の子を育てる間は、私も一緒になって世間に出て行った。ものすごい勢いの情報、競争、悪口、友情、助け合い。
ついていくのが必死だった。
息子のお荷物にはなってはならない。
ま、結局なってしまったが(笑)。
向上したいと怠け者の自分を隅に追いやってきたのは自信のなさ。開き直れないのは劣等感。
俯瞰したところからもう一人の私が囁く。
息子も大学生。
ここまで来たら、もう子供の人格形成や社会性へ与える母親の影響なんて、今さら!
ぐうたら者の私に戻っていい頃だよ。
あっちにフワフワこっちにフワフワ。
テーマも一貫性も軸もこだわりもなんにも無いのが、私のオリジナルなんじゃないのぉ?
そのとーり。
母を敬老
母に花を贈ってみた。
昨日の夕方、義父に贈ろうと、家を出るとき、母のところに、ついでになにか夕飯の食材をかってきてあげようかと顔を出した。
「こんな時間から行くの?」
「すぐ帰る。お義父様に敬老の日だから花、贈ってあげようと思って」
「あぁ・・そう。遅くならないで帰りなさいよ」
母は冷蔵庫にいろいろあるから買い物はいいと言ってまたテレビを見始めた。
頼まれものがないとなると、私も出かけるのが億劫になる。そうだ。こんなときのためのネットだ。
いつもの花屋を検索すると、やはりネット注文も受け付けている。メッセージカードもつけられることがわかった。
敬老の日にオススメの5800円のアレンジメントに決めた。店頭でいつも注文するときはだいたい3000円から5000円の間で…と頼むと、4000円前後で綺麗に作ってくれるのだが、画面に載っている商品サンプル写真は3500円の次は5800円。無精している後ろめたさと用心深さから、奮発する。
義父の住所を打ち込み、コンビニ決済を選び完了。
そこで思う。
母にも・・・。しかし、わたしの祖母ではないしな。いやしかし、敬老の日だからと彼女は明日祖母のところにいくだろう。娘が母のところに行くのも敬老だ。いやいや、でもここはまだ息子の担当だろう。第一また私ひとりで花など贈ったら「あなた一人いい子になって。お姉さんの立場がないでしょ」と言われるか。じゃ、姉と二人でということにしようか、いや、以前も誘ったが、姉は「わたしはしない」と言っていた。うぅうむ。やめとくか。
パソコンの前で悶々とする。
じゃ、もうちょっとお手頃価格のものを贈ろうか。
さっき義父のときに候補からはずれた3000円台の商品をもう一度見直す。しかしどれもこじんまりしていて、わざわざ隣に住んでいながら配達してもらうほどのものかなぁと、また迷う。
やっぱやめよ。
・・・・。そこでまた思い出すのは遥か昔のエピソード。
あれはわたしが初めて授かった子供を流産して退院して間もないときだった。
子供もちゃんと産めなかった、みんなの期待に応えられなかったと、さらなる自己嫌悪に陥っていたところに、義父から電話があり、二人に寿司を奢ってあげるから二子玉川にでておいでと誘われた。
義父が怒っていないどころか食事にさそってくれたことが嬉しく、私は隣の家に報告に行った。
「これからね、お義父様がお寿司ご馳走してくださるって。出かけてくるね」
あぁよかったね。と言ってくれるものだとばっかり思っていたら、そこにいた母が父にこう言った。
「私達なんかもっといつもいろいろとごちそうしてるわよねぇ。失礼しちゃうわね」
冗談だったのかもしれないが本音も入っていた。
当時は週末というと父を囲んで両家一緒に食べていた。鉄板焼きにしろ鍋にしろ、手巻き寿司にしろ、実家持ちだった。
「今日は私たちが買ってくるよ」
と言うと「かわいくないわね」とたしなめられるのですっかり甘えていたのだった。
わかっているものと思っていたのでびっくりした。
母は明らかに不機嫌だった。
流産で両親にも義父にも顔向けできないと責任を感じていたところに義父の誘い。その優しさが嬉しくはしゃいでいる娘。それだけのこと。
あぁうちの親もヤキモチをやくんだなぁ。
強烈に覚えている。
ううむ。あのことがあるからなぁ。
私の中では義父に対して申し訳ないという思いもあるのだ。自分の実家隣に住み、母はなんだかんだ言っても孫も娘達もいる。顔も声も体温も側に感じて暮らしているのに対し、義父はひとりきりだ。
花くらい、贈ったところで間に合わない。
違うのである。
私も学んだ。
優しくされたい。お山の大将でもいたい。頼られもしたいし、庇われたくもある。
理屈じゃないのだ。あの人は。
そして私も理屈じゃない。優しくしたいが、構われたくない。頼られもしたいが、牛耳られたくはない。
距離をおくとか、深入りしないとか、ぐるっとまわってやっぱり母親。喜ばせたい。
いいっか、いい子ちゃんでも。なんでも。
どう反応されようと。
「わたしのおばあちゃんじゃないけれども。
いつも見守ってくれてありがとう。これからもよろしくお願い申し上げます。いつまでも元気でいてね」
メッセージを入力。結局仲良く義父と同じものを依頼した。
明日の午前中、隣に届く。
きまり悪いから、二階にいよう。