母を敬老
母に花を贈ってみた。
昨日の夕方、義父に贈ろうと、家を出るとき、母のところに、ついでになにか夕飯の食材をかってきてあげようかと顔を出した。
「こんな時間から行くの?」
「すぐ帰る。お義父様に敬老の日だから花、贈ってあげようと思って」
「あぁ・・そう。遅くならないで帰りなさいよ」
母は冷蔵庫にいろいろあるから買い物はいいと言ってまたテレビを見始めた。
頼まれものがないとなると、私も出かけるのが億劫になる。そうだ。こんなときのためのネットだ。
いつもの花屋を検索すると、やはりネット注文も受け付けている。メッセージカードもつけられることがわかった。
敬老の日にオススメの5800円のアレンジメントに決めた。店頭でいつも注文するときはだいたい3000円から5000円の間で…と頼むと、4000円前後で綺麗に作ってくれるのだが、画面に載っている商品サンプル写真は3500円の次は5800円。無精している後ろめたさと用心深さから、奮発する。
義父の住所を打ち込み、コンビニ決済を選び完了。
そこで思う。
母にも・・・。しかし、わたしの祖母ではないしな。いやしかし、敬老の日だからと彼女は明日祖母のところにいくだろう。娘が母のところに行くのも敬老だ。いやいや、でもここはまだ息子の担当だろう。第一また私ひとりで花など贈ったら「あなた一人いい子になって。お姉さんの立場がないでしょ」と言われるか。じゃ、姉と二人でということにしようか、いや、以前も誘ったが、姉は「わたしはしない」と言っていた。うぅうむ。やめとくか。
パソコンの前で悶々とする。
じゃ、もうちょっとお手頃価格のものを贈ろうか。
さっき義父のときに候補からはずれた3000円台の商品をもう一度見直す。しかしどれもこじんまりしていて、わざわざ隣に住んでいながら配達してもらうほどのものかなぁと、また迷う。
やっぱやめよ。
・・・・。そこでまた思い出すのは遥か昔のエピソード。
あれはわたしが初めて授かった子供を流産して退院して間もないときだった。
子供もちゃんと産めなかった、みんなの期待に応えられなかったと、さらなる自己嫌悪に陥っていたところに、義父から電話があり、二人に寿司を奢ってあげるから二子玉川にでておいでと誘われた。
義父が怒っていないどころか食事にさそってくれたことが嬉しく、私は隣の家に報告に行った。
「これからね、お義父様がお寿司ご馳走してくださるって。出かけてくるね」
あぁよかったね。と言ってくれるものだとばっかり思っていたら、そこにいた母が父にこう言った。
「私達なんかもっといつもいろいろとごちそうしてるわよねぇ。失礼しちゃうわね」
冗談だったのかもしれないが本音も入っていた。
当時は週末というと父を囲んで両家一緒に食べていた。鉄板焼きにしろ鍋にしろ、手巻き寿司にしろ、実家持ちだった。
「今日は私たちが買ってくるよ」
と言うと「かわいくないわね」とたしなめられるのですっかり甘えていたのだった。
わかっているものと思っていたのでびっくりした。
母は明らかに不機嫌だった。
流産で両親にも義父にも顔向けできないと責任を感じていたところに義父の誘い。その優しさが嬉しくはしゃいでいる娘。それだけのこと。
あぁうちの親もヤキモチをやくんだなぁ。
強烈に覚えている。
ううむ。あのことがあるからなぁ。
私の中では義父に対して申し訳ないという思いもあるのだ。自分の実家隣に住み、母はなんだかんだ言っても孫も娘達もいる。顔も声も体温も側に感じて暮らしているのに対し、義父はひとりきりだ。
花くらい、贈ったところで間に合わない。
違うのである。
私も学んだ。
優しくされたい。お山の大将でもいたい。頼られもしたいし、庇われたくもある。
理屈じゃないのだ。あの人は。
そして私も理屈じゃない。優しくしたいが、構われたくない。頼られもしたいが、牛耳られたくはない。
距離をおくとか、深入りしないとか、ぐるっとまわってやっぱり母親。喜ばせたい。
いいっか、いい子ちゃんでも。なんでも。
どう反応されようと。
「わたしのおばあちゃんじゃないけれども。
いつも見守ってくれてありがとう。これからもよろしくお願い申し上げます。いつまでも元気でいてね」
メッセージを入力。結局仲良く義父と同じものを依頼した。
明日の午前中、隣に届く。
きまり悪いから、二階にいよう。