親子喧嘩その2
朝、6時。
スッキリとした頭で目がさめる。
怒りながら寝についた夜だというのに、一度も夜中に目が覚めなかったということは、いつもより深く熟睡したようだった。
そうだ。電話だ。
昨日の続きだ。夫に電話する。
寝てようが起きてようが知るものか。
長い長い呼び出し音のあと、繋がった。
「おはよう」
寝起きの呑気な声に被さるように私は話しだす。
「おはよ。こっちはエライことになってるよ、行かないってよ息子、昨日の夜。あれからあなたに電話したけど出ないから、私も寝ちゃったけど。いいんでしょうか、それで。」
「え、え、ワッハッハッハッハ。ごめんごめん、ごめんよぉ。わかったわかった。息子に電話する」
この二人は瞬間的にカーッとなるが、一晩たつと、こっちが拍子抜けするくらいケロっと冷静になる。
今回もそのようだった。あぁまた私ひとり翻弄された。思っていたより深刻でなかったことにホッとしたとたん、新たな怒りが湧いてくる。
「もう、私は関わらないからね。二人でうまいことやってよ。息子が行こうが止めようがあたしゃ、しったこっちゃないから。」
「わかったわかった、心配しないで大丈夫だから」
「心配なんかしちゃいねぇよ!ただ、息子がもし、こっちに居ることになったら、私は今日から二泊、ホテルに泊まるから。一緒にいたくないもん」
ドワッハッハッハ。夫は爆笑しながら、大丈夫大丈夫、心配しなくてもを繰り返す。
「言っとくけど、ホテルに泊まるとしたら、安いビジネスホテルなんかじゃなくて、帝国ホテルにするからねっ、ホントだよっ、」
ありがとねぇありがとねぇと笑いながら夫は電話を切った。
言ってやった言ってやった。
あぁ、どうしてこの威勢の良さを母にだせないのか。
それから30分としないうちに夫から電話が入った。
「もしもしぃ。あ、いま、電話した。あの、仲直りしましたので。すいません。予定通りですので」
帝国ホテル、消えた。
ほやほやほやほやぁと頭がほどけていく。
よかった。
さ、朝ごはん。
親子喧嘩その1
昨日、今の自分が他の誰よりいいと書いたその晩、まるでそれを試すかのような事態に遭遇した。
今日から息子が夫のもとに二泊で行く予定になっているのだが、その前夜になって、喧嘩になり、ついに息子は「俺行かない」と言い出した。
新幹線の切符も買ってある。夫が買ってやったのだった。そのときまでは仲良く「レンタカーで運転の練習をしよう」などと話していた。
夜の10時である。
「俺の金で切符を払い戻して返せば、行かなくてもいいだろ」
「それならそれで、ちゃんと自分で父さんに、行かないと話を通しなさいよ」
「なんでだよ、あっちが悪いんだから知らないよ」
「いくら親子でもそれは人としてどうなの、連絡もしないで行かなかったら、父さん、駅で何も知らずにずっと待ってることになるでしょ」
「仕方ないだろ、あっちがおかしいんだから」
話にならない。
親子間の約束で行くの行かないのだから、放っておいても構わない。構わないのだが、些細な意地の張り合いで、あれだけ楽しみにしていた夫がすっぽかされるかと思うと気の毒でならない。
東京で二人が揉めると私はいつも我関せずで通したが、今回はそういうわけにもいかない。
眠くてたまらないというのに、降って湧いた厄介ごとにため息をつきながら、夫の携帯にかける。直にもう一度息子と話すよう言うつもりで、不貞腐れて二階に行こうとする息子を「そこに居なさい」と引き止めた。
めったに命令口調で言わない私の勢いに思わずテーブルの席に戻る。その様子を見ると、本人も勢いで拳を振り上げたものの、降ろすタイミングを失っているのだ。
すぐに折り返しかけたのに夫は夫でまったく繋がらない。
あいっつ〜…。
こっちもこっちなら、あっちもあっちだ。
意地張って出てこない。
しつこいくらい長く呼び出し、何度もかけてみたが繋がらなかった。
知らん。好きにしろ。
だんだん、私までカッカしてきた。
寝よう。
そのまま二人を放置してベッドに向かう。
「なんだよ、人にそこに居るようにいっておいて、寝るのかよ、おれ、行かなくていいんだろうな」
「好きにしたら?」
「行かねえよ」
「お好きにどうぞ、おやすみなさい」
なんでうちの二人はこうなんだよ...。
疲れた頭と猛烈な眠気と苛立ちを抱え、あぁ今朝あんなことをふと思ったのはこれへの備えだったか、などとうっすら思い倒れ込んだ。
それでもこの状況で、誰とでも入れ替えてあげるよと言われても、断るなぁ。。まったくなぁ。。これが家族だ、これこそ。。。
鼻息荒い自分をなだめているうちにストンと深い眠りに堕ちていった。
勝手知ったる私
明け方、ぼんやり考えるでもなく、浮かんできたことに自分で驚いた。
もし、だれか自分が素敵だな、羨ましいなと思う人に入れ替われるとしたら誰がいいか。
ただ、条件として、今の自分の記憶、家族のこともこれまでの生きてきた歴史も全て、消えずに持っていくのだ。希望したその人として、外見も能力も人間関係も、財産も世間の評価もすっぽりもらえて入れ替わるが、今の暮らしの記憶も全て持っていく。
そう考えた時、どの人を想像しても、今の自分の方がいいやと思ったのだ。
これまで、苦しいとき、生きづらくてへこたれていたとき、何度か「あぁ毎日毎日、朝起きたとき、前日までの記憶全部消えていたらいいのに」と考えた。
人から言われたこと、以前の自分と比べて退化したと感じて惨めに思っていること、今の自分が辛いのは全部意識が今から離れているからだ。過去の記憶に引きづられ、未来に不安を膨らませる。
「今」じゃない妄想の世界に縛られている自分から、いっそ記憶という概念自体なくしてしまえば、どんなにか楽なことだろう。毎日毎日、あぁ、そういう設定なのかと思うだけで、特に不満も不安も感じず、そんなもんだと暮らすだろう。
それが、仮定の話とはいえ、この自分の記憶ごと持って移る、魅了的なキャラクターを誰がいいかなと想像してみると、誰であっても嫌なのだった。
図々しいことに、女優さんやタレントさんでもやってみたが嫌なのだ。
さあ、今からあなたは売れっ子の誰々さんです、あの美しいプロポーション、賢い頭脳も、そのままそっくり、差し上げましたとなったとして、今のこの私の住んでいる家も、友達も、夫も、息子も、母も、姉も、みんなその新しい私と関わりのないものになるのだ。
素敵な家に住み、美しくなり、皆から羨ましがられ尊敬されるような存在になった私は、手放したキャラクター丸ごと全てを取り戻したくて、きっと狂ってしまうだろう。
消したかった記憶を抱えたままの私ごと、手に入れたくなるのだ。
なんで明け方、そんな発想がいきなり浮かんだのか。
あれほど嫌で、劣等感の塊だった自分というキャラクターだというのに、こんなに愛着が湧いていた。へぇ・・。驚きの発見だ。
どんなに素敵な人でも、丸ごとその人にはなるのは。
羨ましいなぁ素敵だなぁと、うっとりしながら、家でオムレツ作ってるこの自分の方が気楽でいいや。