お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

今は自分を満たしてやることを最優先させよう

日曜日。あの映画はやっぱり行くのをやめた。

よく考えると、テレビでそのドキュメンタリー番組をやっていたら「あ」と思って観て、90分のうち、半分くらいまできたら、チャンネルを変える気がした。

つまり、ちょっと見、立ち読み程度の社会性なのだ。私のは。

今、私は自分の素をもう一度誤魔化さずに知ろうと思う。そして、それを丸ごと全部、引き受けて、全肯定してしっかり愛し尽くそうと思っている。

母と姉に対して認められたい、バカな自分を晒して見下されたくないという見栄っ張りな私がこれまでやってきたこと、選んできた趣味、本、服、全部総ざらいしている。

それでも本屋に行って、つい、目が止まるのは、「これ読みたい」よりも「これくらいのもの読んでおかないとダメかな」というもの。昨日もそれで、あ、違う違う、くだらなくてもいいから、本当はどれがいいの?と自分で自分に言って、もう一度選びなおした。

こんなバカバカしい作業をしないと、今の私は、自分がどんなものが好きで、どんなことをしていればワクワクするのか、ピピッと選べない。

これを悲観しているわけではない。むしろ、私って実はこんな人だったんだと、おかしくなる。思っていたよりも、かなり、バカバカしく、かなり現実離れしていて、かなり、自分に自信がなく、社会適応能力に乏しい。

体型も含めて自分を丸ごと愛おしいと引き受けたいのだ。

今は、走り回る時ではない気がする。

一日、一日、何にもしなくても大丈夫だよ。バカにすっぽり浸かって過ごしても大丈夫。安心して大丈夫。むしろ、立派になるな。素敵っぽくするな。ダサくてあか抜けなくて、スタイルも悪くて鈍臭い私を前面に出して。その上で、楽しもう。

その状態の自分を自分で可愛いと思えたら最高の人生になる。

あとちょっと。よくここまで来たよ。私も。ようやくここまで来た。

ダメな私と仲良く。

いつかたっぷりと私自身に愛された私の中から溢れ出るものが本物の愛だとおもう。