お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

新しく生えた枝と葉っぱ

母が最近よく来る。

来て、ばーっと喋って、満足すると帰っていく。

昨日、いきなりやってきて

「いま友達と話してて、子育て失敗したってグチグチ言うから、そんなこと、今更いったって仕方ないわよ。あれしかやりようがなかったんだから。私はそんなこと知ったこっちゃ無いって言ったわ。うちも大失敗したけど責任なんかいまさらとれないわよって・・・」

がーっと勢いよく話し出した。

表情はわらっているけど、目はわらっていない。

おそらくその友達にはなしているうちに「そうだわ、わたし、一生懸命やったもん、悪くないわ」と思い、それを私に言いたくなったのだろう。

母の言い分として。

断っておくが、私は一言も母に「どうしてくれるんだ」と言ったことはない。

ただ、あるとき、一度、彼女を心の中で切った。そうしないと窒息しそうで、死にたくなったからだった。

いいなりになることをやめて心を閉じた私に母は怒り、揺さぶり、泣いたり鬱っぽくなったり、荒れた。

途中、自分が苦しめているそのありさまを目の前にして、もういいや、私が自分を押し殺せばまた平和になるんだったら・・とめげそうになったが、結局、母と自分の人生どっちだと思えば、自分を選んだのだった。

一度、バッサリ切りおとすと、しばらくたってそこから新しい芽が生えた。

小さく薄い粒みたいな緑の芽は放っておいても、一度芽吹いたら勝手にどんどん命を伸ばしていった。

だから、今の母と私の関係は、昔のとは違う。

幹も根っこも同じだけど、今のは再生した新しい枝と葉っぱ。

もう、母が怖くない。傷つくことも、ない。

母親って不思議だ。鬱陶しくて、手強いくせに、頼りなくて可愛くて、つい甘やかしてしまおうとする。

喜ばせたくなる。守ってやりたくなる。嫌いになれない。やっかいな人。

「いいけど、私、その件に関して相槌打って話しを広げる気はないから。そこまで」

ぴしゃり。

もう「いいのよ、誰も悪くないの、タイミングと私の未熟さと、いろんなことがこんがらがってしまったの」なんて言わない。だってあの枝はもう切っちゃったんだから。

正体のない不確かなものに、ああでもないこうでもないって、まったく意味がない。

あるのは今。

「ちゃんとお母さんの最期までそばにいるよ」

母との関係の苦しさは深い意味があった。通るべき道だった。切るべき枝だった。

一度、ちゃんと嫌いになって、好きになれてよかった。