紫陽花
庭の紫陽花に蕾がついた。
倒れる前、剪定をするつもりが切ってはいけないところを切ってしまったようで、翌年から花がつかなくなってしまった。
それから私は入院し、危篤になり、4ヶ月入院して退院してきた。
その年、ずっと咲いていなかった紫陽花が一輪だけ、花を咲かせてくれた。
小さな小さな、色素も淡い、儚げな、けれど瑞々しく生命力に溢れた、まるで赤ちゃんのような花だった。
一度死にかけて帰ってきた自分に「やりなおせるよ」と希望を見せてくれているようで励まされた。
花を見て心が震えるというのは初めてだった。
それから彼女は毎年、一輪ずつ、花を増やした。
歩けなかったわたしが、つたい歩きをできるようになるように、少しづつ少しづつ、焦れったくなるくらいゆっくりと蕾の数は増えた。
買い物に行ったり、祖母のところに見舞いに行ったりできるようになると、花の数は増えなくなった。
この分でいけばまた以前のように、たくさんの房をこんもりつけた紫陽花になるんだろうと思っていたが、どうやらそれは無理なようだった。
自分の身体がもう健康体には戻れないとわかったようで、気落ちしたが、そうそうなんでも都合良くはいかない。全滅だったところから7輪もの花が毎年咲くようになったこと自体、奇跡だったのだ。
その紫陽花が、昨日、びっくりするくらいの数の蕾をつけていたのだ。
小さな固い蕾が。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
数えると今確実にあるのは18個。まだまだこれから膨らみそうな蕾の蕾もたくさんある。
病院から、よくない検査結果にどんより帰ってきた私を迎えてくれた。
植物だってある日突然エネルギーが溢れ出す。
再生の力。
もうダメかと思ったその先にまた強く立ちあがる生命。
しばらく傘をさしながら、彼女の前に立っていた。
誕生日祝い
さあ、気持ちを切り替えていこう。
これから母の誕生日祝いなのだ。
息子も姉も揃って家にいるので、本当は明日だが急遽、今日集まることにした。
私、主催。
息子も姉もめんどうがったがピザを注文すると言ったら乗り気になった。
あとはサラダとイチゴ。
がんばれわたし。偉いぞわたし。
神さまありがとう
本日は検査なのであった。
いつもより細かい検査で三年前に受けた後の経過観察である。
・・・伸び悩み。
同じ年齢の健康体と比べると70パーセント、59パーセント。
期待はしていなかった。
ある程度の覚悟もしていたが、数字でこうはっきり「ザ、現実」を突きつけられるとやはり、落ち込む。
でもまぁ落ち込んだところで体内に作用して、ぐんぐん数字が改善されるわけでもない。結果は情報として受け取り、そこに感情を持ち込むのは終わりにしよう。
はいっ、もう、立ち直った!
私はいつも検査結果でショックを受けたときはこう考えることにしている。
どんなに健康体でいても事故にあったり、ウィルスに感染したり、災難に巻き込まれる人もいる。
誰もがいつ、命の終わりになるかわからないんだ。ならば、笑え。楽しめ。バカになれ。
自分の身体のウィークポイントがわかったらそこに注意をしながら、楽しめばいい。
病院から二度と家に帰れないかもしれませんよと言われたあの頃に比べたら今の生活は遥かにクオリティが高いじゃないか。
大丈夫。わたしはちゃんと陽気に生きていける。
強引だろうか。本気でそう思っているんだ。
落ち着きを取り戻し、改めて検査結果を見てみると、平均点以下ながらも地味に成績はあがっていた。65点が70点、53点が59点。
健気じゃ。
年齢が上がっていることを考慮に入れると下がるところを踏みとどまり、僅かに上がっているじゃないか。
ありがとねぇ。わたしの細胞達。頑張ってくれてるんだねぇ。これからも力を合わせてやっていこうね。
とにかくわたしは今日も生きている。
神さま、ありがとう。
元気に長生きさせてください。