お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

小躍り

10時過ぎ、遅く起きてきた息子と遅い朝ごはんを食べながら録画していたNHKの朝ドラを観ていた。

「本当はさあ。この大画面でAmazonビデオが観たくてスティックTV買ったのにさ」

どういうわけか、我が家のテレビに差し込んでも作動しないのだ。仕方がないので今は寝室の小さな19インチのテレビに繋いで観ている。

「だから古いんだって、これ。買ったの俺が中学のときだろ」

そうだっけ。買いに行ったのは私だが、確かその時の最新機種の一つ型落ちで安かった。先月までは定価で売られていたのですごくお得な買い物をし、満足だったことは覚えている。

「その時代のじゃ対応してないんだよ。」

息子は新しいTVを買いたいものだからそういうが、端子もあるし、Wi-Fi設定もあるのだからそれは怪しい。ブルーレイとの接続が間違っていたりとか、どこかこちら側のミスではないかと思うが、散々コードを抜いて接続しなおしてみたが、わからずじまい。二階のテレビでは使えるんだからいいやと諦めたのだ。

しかし、二階にわざわざ上がって、映画鑑賞というのは主婦の日常には以外と難しい。私は細切れに家事をやっては、本を読み、パソコンを見たりする。その流れの中でAmazonビデオをみるなら、やはり、画面はキッチンのある一階に置いてあるほうが便利だ。

寝る間際、ベッドに潜ってからつけてみたりもするが、もうその頃には映画を見るほどの気力もない。

「父さんがいない間に、内緒で同じサイズのに買い替えちゃおっか。」

「気がつくまい」

「リモコンが壊れてたから、リモコンだけ買い替えたって言っても・・わかんないよね、きっと」

馬鹿話をしながらドラマを観ていると、画面中央に薄い青い縦線が現れた。

「テレビに青い線がある」

「本当だ」

「ついに」

「壊れた!4Kだ、買い替えだ!」

都合のよく会話の流れに乗って現れた青線に、二人ではしゃぐ。

「わーいわーい、壊れた壊れた!さぁ、今日はアマゾンで最新テレビの研究するぞぅ。今夜から粗食よっ」

青い線は一度現れたら消えない。これは本当に壊れたのか。いや、でも録画を観ている時だけ現れるのかもしれない。

「液晶の問題だから、そんなわけない」と言う息子を無視して入力切替で放映中の番組にしてみたが、青い線はそのまんま。

「よし。これはちゃんと壊れている。よし」

「昼休み、父さんにラインしよっと。新しいの買ってもらおう。」

再度、小躍りして喜ぶ二人。

 

 

必死の午後

カレー粉を使ったカレーを作ってみようと取り掛かる。

これまでフレーク状のルウなら使ったことがあるが、カレー粉、小麦粉から作ったことはない。味の想像もつかないが、きっと美味しいに違いない。手をかけるのだから、それだけのものができるはずだ。

カレー粉の缶を買いに行くところから始まる。赤い缶のカレー粉。それと玉ねぎ人参じゃがいも、豚肉。我が家はいつも鶏肉で作る。しかし、缶の裏の作り方には豚肉とあった。初めてなのでここは言われたとおり豚肉にした。

クックパッドで見ても、缶の裏を読んでも、作り方はだいたい同じだった。要するに市販のルウを入れるところを、サラダ油で炒めた小麦粉にカレー粉を足して練り、そこに煮汁を少しづつ足して薄めてのばし、野菜を煮ている鍋に入れるのだ。最後に砂糖と塩で味を整えて完成。

なんだ、勢い込んだ割には簡単なんだ。

買い物から帰ると、すぐ台所に立つ。やって見たくてワクワクしているのだ。

時刻は1時。昼ご飯はまだだが、先に作って後からゆっくり食べよう。

さっさと作って午後はビデオで映画でもみよう。

簡単だと、たかをくくってはいけない。初めて挑戦する謙虚さを忘れて自己流に走るとろくなことはない。特にカレーに関しては、過去、何度も痛い目にあっている。

今日は基本に忠実にいこう。

じゃがいも一個とあったら一個。玉ねぎが一個半とあれば、ちゃんと一個半。玉ねぎは半分は微塵切り、残りはザク切り。めんどくさいが、この微妙な切り方の違いが意外と大切なところかもしれない。言われた通りにする。人参、豚肉それぞれを切り、炒め、肉は一旦取り出し、野菜ジュースも入れ、コンソメ、少しのトマトピューレにウスターソース、カシスジャム。灰汁を丹念に丹念に取り除く。

最近ここまで丁寧に灰汁取りをしただろうか。

雑に作ることが増えてたなぁ。

ラーメン屋のオヤジのように、鍋につきっきりになっていると、なんだかすごく丁寧な暮らしをしている気分になって心が落ち着く。

煮込んでいる側で別のフライパンにカレー粉と小麦粉を炒めて待つ。煮込みは中火で20分以上。箸で突っついて、野菜が柔らかく煮えていればいいってもんじゃない。タイマーをかけて30分、コトコトコトコト。

手間暇かけるってこういうことよねと自画自賛しながら待ち続け、ついにルウを入れるときがきた。

市販のと違って香辛料の強い、ツンとした、インド屋のカレーの匂い。

さぁさぁ。本当のカレーってどんなの。

待ちきれず、溶けたところで、すぐ、味見をした。

か、辛い・・・。本格的の味だ。

カレーをこよなく愛する人のサイトを見たのがいけなかった。カレーを本当に好きな人は本場のあの、ピリリとしたものをカレーと呼ぶ。

私は大事なことをすっかり忘れていた。

うちの男子は夫も息子も甘いカレーでないと食べられない、お子ちゃま舌なのだった。

味は確かにいい。おそらく、姉などは「これぞカレーよ」と大喜びするであろう。

しかし、どんなにいいものができたとしても、食べる奴らのレベルにあってなければ意味がない。

私は慌てた。どうしよう。いや、待て、これまで何度も、軌道修正を図ろうと焦り、思いつきで色々入れては失敗をしてきたではないか。よく考えるんだ。今回はとりあえず作ったものはレシピ通りなのだ。うまくやれば、いいところへ着地できるはずだ。

トマトピュレを少し足す。だめだ、酸味が強くなるだけ。この刺激を消さないと。じゃがいもをチンして潰して入れた。やや、穏やかになった気もするが、ほぼ、変化無し。りんごのすりおろしを入れる。お。これはマイルドになった。が、りんごの香りが残るのでこれ以上は入れないほうがいい。ミートソースの残りを大きいスプーンに一杯、・・いやもう一杯。少し、食べやすくなった。カシスジャムをたす。これもプラスに作用した。辛味はどうにか許容範囲に落ち着いたが、この刺激がなんとも。

そりゃそうだ。カレーは刺激があってなんぼの食べ物だ。それを消そうとするのはもはやカレーから離れていくことになる。

牛乳を足した。おお。ぐっと食べやすいものになった。ぐっとカレーから離れたが。

やむを得ん。ここはカレーに固執してはいかん。とりあえず、「食べられるもの」にするのが今の課題だ。

冷凍保存用のジップロックにカレーの具を避けて、液体の部分をすくい上げて取り分ける。鍋の半分以下まで減らした。そこに牛乳をトポトポトポトポそそぎいれる。生協のフレーク状のホワイトシチューのルウがあった。袋の裏面を読むと、ブイヨン、脱脂粉乳、果物、豚肉エキスとある。スプーン一杯、入れてみた。祈るような思いでぐるぐるぐるぐる搔きまわし、恐る恐る味をみた。すると、鍋の中身は、カレー風味の、それはそれは美味しい牛乳スープへと変化していた。

ほのかにグラタン風味なのはホワイトシチューの素が聞いているのだろう。

とにかくお子ちゃまが少し背伸びした「ホワイトシチュー、カレー風味」が出来上がった。

美味しい。なぜか、美味しい。

これを成功というのか、失敗というのか。

また、2度とは作れない料理をこさえてしまった。

 

時刻は4時。へとへとだ。

この間の集中力は我ながらすごかった。

パンを焼き、きゅうりとハムを挟んでマヨネーズをかけてサンドウィッチ。

テレビでは「今日の出来事」と1日を振り返ったニュースと明日の天気予報が始まっているのを眺めつつ遅い遅い昼ごはんにありついた。。

 

 

もうしばらくお待ちを

夫が帰った。

昨日の夕方、二階で昼寝をしながら「あ、あした帰るんだ」と思うと、なんだかこうして離れたところで、まったく関わりなくゴロゴロしているのが急にもったいない気がした。

だからと言って、そばに行って寝っ転がるのが快適かといえばそうでもない。

一緒にテレビを観ようかとも思ったがそれはそれで不自然な窮屈さがある。

私は夫が家の中にいて、その気配を感じつつ自分は勝手気儘にしているのがいいようだ。そんなことを考えていたら私は、明日、夫が海外赴任するとなってもこうしているのかもしれないと、自分に少し呆れた。

母がやってきて、連休の最後、みんなでご飯を食べましょうと言う。

そんな予感はしていた。

夫のありがたいところは、こんなとき、賑やかになると喜んでくれるところだ。実の娘の私が毎回、構えて緊張する。久しぶりに姉も揃って5人の食卓は、それぞれが話したいことが溜まっていて盛り上がる。

私は不思議とその場に馴染めていた。

母が私にいつになったらハワイに行けるのと聞く。

「なんでそんなに私と行きたいのよ。」

逃げる私。

「あなたと行きたいのよ。私が動けるうちに」

ここでいい顔したら自分が後で困ることになる。母の気持ちもわかるが、今の私の体調では国内旅行も負荷がかかり過ぎる。ましてや母上様と海外だなんて、無事に帰ってこられる自信がない。

「大丈夫よ。当分、元気だから。」

ハワイ行きたいわぁと言いながら、お寿司をつまむのを見ていると、少々無理してでも行ってやりたい。

母も感じているのだ。

私と母の関係が緩やかに変わってきていることを。

「いいじゃないの、いつまでもそこの縁側でそばにいるから」

「ハワイがいいのよぉ」

かわいそうになる。

でも、まだ、無理なのだよ。お母さん。

しばし、待たれい。