お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

紫陽花

庭の紫陽花に蕾がついた。

倒れる前、剪定をするつもりが切ってはいけないところを切ってしまったようで、翌年から花がつかなくなってしまった。

それから私は入院し、危篤になり、4ヶ月入院して退院してきた。

その年、ずっと咲いていなかった紫陽花が一輪だけ、花を咲かせてくれた。

小さな小さな、色素も淡い、儚げな、けれど瑞々しく生命力に溢れた、まるで赤ちゃんのような花だった。

一度死にかけて帰ってきた自分に「やりなおせるよ」と希望を見せてくれているようで励まされた。

花を見て心が震えるというのは初めてだった。

それから彼女は毎年、一輪ずつ、花を増やした。

歩けなかったわたしが、つたい歩きをできるようになるように、少しづつ少しづつ、焦れったくなるくらいゆっくりと蕾の数は増えた。

買い物に行ったり、祖母のところに見舞いに行ったりできるようになると、花の数は増えなくなった。

この分でいけばまた以前のように、たくさんの房をこんもりつけた紫陽花になるんだろうと思っていたが、どうやらそれは無理なようだった。

自分の身体がもう健康体には戻れないとわかったようで、気落ちしたが、そうそうなんでも都合良くはいかない。全滅だったところから7輪もの花が毎年咲くようになったこと自体、奇跡だったのだ。

その紫陽花が、昨日、びっくりするくらいの数の蕾をつけていたのだ。

小さな固い蕾が。

ひとつ、ふたつ、みっつ。

数えると今確実にあるのは18個。まだまだこれから膨らみそうな蕾の蕾もたくさんある。

病院から、よくない検査結果にどんより帰ってきた私を迎えてくれた。

植物だってある日突然エネルギーが溢れ出す。

再生の力。

もうダメかと思ったその先にまた強く立ちあがる生命。

しばらく傘をさしながら、彼女の前に立っていた。