お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

怠惰とお日様

散歩に行って、スーパーに寄って、ミートソースを作って昼ごはんを済ませたあたりから、じわじわ具合が悪くなった。

食後のおやつに食べようとお盆に乗せておいた甘納豆と甘食に手が伸びない。

おやつを食べたくないと思うのはおかしい。気のせいかもしれない。

試しに甘納豆を食べて見た。いつも通り美味しいが、いつもみたいにもっと食べたいのをぐっとこらえるというほどでもない。もう十分だ。甘食は残った。

背中にポカポカ日差しを感じながら、そのまま床にゴロンとする。

寝っ転がると窓から空が見える。

ヒヨドリが鳴いている。

幸せ。そうか。私は、体調が良くないときでもあったかい日向で横になると幸福な気持ちになるんだ。お日様っていうのはすごいな。

お日様みたいな人になろう。

うとうとする。目がさめる。そこでまたうとうとに戻っていく怠惰で甘美な時間。

幸せ。

そうか。私は、怠惰でいると、元気になるんだった。

5時に、甘食を食べる。美味しい。もっと食べたいけれど、ぐっと我慢。

充実した一日。

もう元気。

明日は掃除機をかけよう。

強くなりたい

母が昨日、祖母のいる老人ホームに一人で行ってきた。

食がすっかり細くなり、持って行った蜜豆も求肥と豆を数粒、イチゴを一つ食べただけで「もういらない」と言ったそうだ。

グラタンやバターをたっぶりと塗ったトーストの好きな人だったので、ショックだったのだろう。ホームを出てすぐ、その場から電話をしてきた。

101歳ともなれば、少しづつ衰えてくる。スタスタ歩いていたのも、壁に手をつけて、慎重に歩く。

私もそれには気がついていた。気がついていたけれど、年の割りにはしっかりしていると思うことで悲しくならないようにしていた。

ゆっくりその時に近づいているんだということは覚悟しながら、それまでの意識のしっかりした、限られた時間、できるだけ会いたいと思って通っている。

「もう、ダメなのよ。もうだめね」

母は自分に言い聞かせるように私に言う。

「あなた、喪服は持ってるわよね」

冷静な台詞を言うこういうときの母は、動揺しているのだ。こんなことにも気がつかないで私はこの人の発する言葉の、表面上の意味だけ受け取っていた。

お母さんだから。

お母さんは動揺したり、理性を失うことなどない。

幼稚な私は、母の発する言葉の裏にある不安などわかりもしなかった。母が私にキツイ言葉を言ったとき、一杯一杯で心に余裕のないあまり、それを蹴散らしたくてぶつけていたのかもしれない。長男の嫁として妻として、母として。

私のことをちゃんと見てほしい、理解してほしいと思うばかりで、この人のことを理解してやれていなかったのではなかろうか。

家に帰ってきてからも私のところにやってきて、今日の祖母と自分がどんな風に過ごし、どんな話をしたか、二人でベッドに並んで寝て話したんだと報告する。

「うんうん」としか返事のしようがないが、ただ私は聞いていた。

父に守られ、天下を牛耳っていた頃の怖いあの人はもういない。

この人は、これまでは一人でこんな覚悟を背負ってきたのだろう。気張って気張って生きてきたのだろう。

父の病気を知ったとき。上の弟の余命をきかされたとき。・・・7年前の私もその中に入っているのだろうか。きっと「大丈夫よ」と強気に振る舞って見せ誰にも泣きつくことなく堪えたのだ。

全てを手放して守ってあげたい。

暴れまわるじゃじゃ馬の母はまだまだ衰えてはいない。

不安げな表情も心細さも話し終える頃には消えた。

「あなたも大丈夫だからあんまり心配しなさんなよ」

散々もうダメだ、もう長くないと言っておきながら、気丈な母の顔に戻る。

「大丈夫だよ。いざという時の用意もあるよ。でも、人はそう簡単に死なないよ。まだまだ大丈夫。」

まあね、と言って、うちのテーブルに並ぶ食事を見ながら「お肉が足りないんじゃないの?」と軽口を叩いて帰っていった。

守ってあげる。

じゃじゃ馬老婆。

 

バカな母親だなぁと思いながら

息子が昨日、アルバイト先で褒められたと、帰ってくるなり話し始めた。

鉄道接客の仕事をしている。

休憩時間、事務所に向かう移動中、車両内でお客さんが気を失って倒れたので、緊急停止ボタンを押した。

担架を持ってきて、倒れた若いお嬢さんを医務室に運んだだけなのだが、帰りの申し送りの際、社員さんから名指しで褒めてもらったらしい。

キャスト全員の前だったので相当嬉しかったのだろう。

聞いている私も心が踊る。

人を助けたというほどのことではないが、息子が躊躇せず、すぐにボタンを押せたことが意外で、それが嬉しかった。

私だったらどうしただろう。助けよう、助けたいとは思うが、派手な音のなる非常ボタンを躊躇して、すぐには押さず、しばらく様子を見守ったかもしれない。

鉄道員の制服を着ていたら、違っただろうか。使命感でいつもの自分とは違う行動ができるような気もする。

倒れたお嬢さんはもともと体の弱い人のようで、友人達も慌てず、すぐに家族に連絡を入れたりと落ち着いていたそうだ。

「すぐ目を覚ましたから、午後にはまた遊びに行ったんじゃないかな」

食事中も、もう一度同じ話をする。よほど得意なのだ。

私も「すごいねぇ」「よく落ち着いてできたねぇ」とバカ親で褒めまくる。

「そいういうのが生きる力だと思うんだよ。対処する力っていうのか」

夫が会社での武勇伝を話すときは、1度目は「よかったね」と聞くが、何度も何度も同じ話を繰り返し始めると

「もうわかったよぉ」

というくせに。

こんなバカ母になるなんて。

と、思いながら何度も何度も「すごいねぇ」と言う。