お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

あら、可愛い

今日は完全に母に持っていかれた。

午前中 体操教室から帰ってきた彼女、顔を出して例の一言をおっしゃる。

「あなた、今日、午後、お暇?」

きたーっ。お暇?。もう、この時点で私は覚悟を決める。いま、かわしたところで課題となって先送りになるだけだ。今日のお題は今日のうちに片付けよう。

「なに?空いてるよ」

録画してたビデオも見るつもりだったし、暮れに読むつもりで買った本を今日こそ読もうと思っていたし、Amazon musicのプレイリストの整理もしたいなぁと思っていたけど、空いてるよ。

心の声を脇に追いやり答える。

最近思う。その人のために自分の時間をどれだけ費やすかは愛情だと。そう考えると母は私を育てるまで、乳児のころから計り知れない時間と労力を使った。別にそこに責任を感じたり詫びたりすることはない。順繰りで私も息子にそうした。今もまだ少しはそうしている。

それでも、やりたいことや体調やいろいろなことを脇に押しやって私たちを最優先にしたことは変わりない事実。

自然の流れで今度はこっちが寄り添っていく順序なのだ。

「自由が丘で靴、見たいのよ」

はい、午後消えた。あそこに行ったら、靴だけで済まない。あちこち可愛いお店を覗いて、ケーキを食べて、お茶しながらお喋りしてまた、もう一件二件、服屋さんを冷やかしてやっと終わるのだろう。

先日の作り置きが、こんなところで役に立とうとは。

「夕飯もできてるし、用事もないから、ゆっくりまるまるいいよ」

「そ。じゃ、あとで。1時?2時?」

どちらでもと言うと、じゃ、1時ね。と戻って行った。

 

帰宅したのは6時半。

10,167歩。靴を買い、初売りセールの名残りのワンピースを買い、シュークリームとコーヒー。お友達と親戚の噂話し。明日のパステルのお教室に持って行ってみんなに配るというお菓子を買って。

持つよ。いいわよ。持つよ、年寄りなんだから。明日もあるんでしょう。

二世帯のそれぞれの玄関を開けるとき、小さく早口で一言呟いた。

「今日はいろいろとありがと」

報われた。

二十歳前後の頃を思い出す

朝起きたら息子がまたリビングで寝ていた。

一瞬、もう・・と思う。だから昨日の夜、9時半ごろ、風呂に入るよう言ったのだ。

「明日の朝、また7時に家を出るんでしょ」

この時点で彼の目は爛爛としていても、これまでのパターンから行くと、やがて眠くなり、ちょっとのつもりで寝転び、ストンと眠りに落ちて朝になる。もう何度となくこれをやっているんだからいい加減、自分でもその傾向と対策について考えてみればいいものを、「今日は大丈夫」と毎回の言う。

「10時半になったら入る」

その10時半が一番怪しい時間帯じゃないか。

私こそ翌朝起きるために「ちゃんと入るんだよ」と寝に行った。

そしてこれである。

ラジオをつける。毎朝の声が流れる。入院して手術したこのパーソナリティもだいぶ声も話す内容も力強くなってきたな。もう、大丈夫。

余計なお世話であっちこっちの心配を勝手にする。

そこにリスナーからのリクエストで米米CLUB浪漫飛行が流れた。中年を中心とする早朝のこの番組は、朝の社交場のようだ。メールで番組パーソナリティを通じ、全リスナーに語りかけるような空気感がある。

「大学時代一番よく聴いてた曲です」投稿した人のメッセージが読まれ曲が流れた。

途端に私もあの頃に飛ぶ。私も21か20か、それくらいだった。毎日が不安で苦しくて辛かった。自分の立ち位置もわからない。これでいいのかもわからない。希望も展望もなく、自信のかけらもなかった。不安に直面するのを避け、毎日学校の行き帰りと課題をこなすことで、やり過ごしていた。

今の息子の年齢の頃じゃないか。

床に転がっている息子を見る。テーブルには大学のノートと筆箱が置いてある。転科試験を受ける資格を得るため、今回の学期末テストではある程度の成績を残さないとならない。

彼なりに何かに立ち向かっているのか。

家ではヘラヘラしているから、私もそんなにナイーブに捉えていないが、よく考えれば今の学科からあえてよそに移ろうとするアクションを起こすのは相当のエネルギーを要することだ。

息子の目が覚めた。罰が悪そうに「やっちまった」と起き上がる。

「早くシャワー浴びといでよ」

上機嫌ではないが尖ってもいない声でそう言う。

やっぱり、見守るしかできない。頑張って生きろ。息子。

作り置きと私という生態

 

 

Twitterで作り置きのハッシュタグをずっと見ているうちに、つられて、やる。

キャベツと豚ひき肉の甘辛炒めと、ミートソース。

本当はミートソースはこの3倍作ったのだが、母にほとんどあげた。

こっちの方が手をかけたので惜しいけどな・・。

・・・と迷うくらいのものは、割と喜ばれる。

案の定、喜んだ。今晩彼女は体操教室の日なので、夕飯の支度ができていると便利なのである。

 

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もっと何か作ろうかと思ったが、やめた。

よく考えたら私は働いているわけでもないから、Twitterのように一週間分、バッチリこさえる必要がなかった。

カレーも煮豚も残っている、おでんも少し残っている。

落ち着け。

午後、日向で本を読む。例の「よくわからないけど、なんかいいクラシック」のプレイリストを流してじっと椅子に座る。

だんだん地に足がつく。

私は動いているときは、考えがふわふわしている。

こうしてじっとして、一つこのことをしていると、自分なりの真理を探し当てるときがある。

人の生活と自分の生活をごっちゃにしないこと。

私には私の個性豊かな家族とヘンテコリンな自分の性格を基盤にした暮らしがある。

キラキラしようとしないこと。

私はちょっとぼんやりしているくらいでちょうどいい。

そのためには、誰とでも、自分以外の人と自分を比べないこと。

無意識にやるから。私は。

自分の方がいいんじゃない。

私が特別ダメっていうんでもない。

どのひとのどの生き方が素敵っていうのも、ありそうだけど、ない。

ただ、真実として。

こういう風に暮らしている私みたいな生物がいたとしても、それはそれで面白い。

地球上にはいろんな生き物がいるんだから。

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