お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

特上のハレ

今日は夫の父とホテルで懐石料理なのであった。コース、14000円。事前にこのコースにするけれど、食べられないものがあれば調節してもらうから知らせてと言われ、ホームページを覗いたらデデーンっと数字が表示されていてビビりまくる嫁。

お品書きしか載っていないので、ダメも何も想像もつかない。

私は食事に制限がある。よく「何がダメなの?」と聞かれるが、本当にうまく説明ができない。調理方法だったり、決定的にダメな食材があったり、組み合わせや時間帯でよかったりダメだったり。自分でも把握するまでモヤモヤした。

しかし、このお品書きを見てから私は覚悟した。

これは、全て美味しくいただきましょう。

こんな立派なお食事を用意してもらっておいて、ちまちま残したり避けたりするのは申し訳ない。毎日のことじゃないんだから、楽しむべし。この日だけは羽目を外そう。

食事はどれも美味しかった。自分ではやらない、できない美しい盛り付けに味付け、贅沢な素材。食べるんだと決めていたから、余計なストレスもかからず、ひたすら味わい、美味しい美味しい。

ワインも飲んだ。アルコールも普段は控えているが、ええい、どうせ今日しか好きに飲み食いできないんならやっちまえと、口をつけた。

ふわぁっといい香りが体に入っていく。

ワインの酔い方って初めて体験したけれど、気持ちをとても解放させてくれる。

上機嫌で、家のこと、息子とのやりとり、夫の話、過去の思いで、話す。

普段は夫、義父と口が重いので、私もでしゃばらないよう静かにしている。当然息子も。すると私たちのテーブルは正月だろうが誕生祝いだろうが、宴なのに通夜のように重い沈黙に包まれている。

もう、いいやいいや、私が喋って楽しんでしまおう。

ワインと美味しい食事を文化として愛する人々の気持ちがよく、わかった。

食事って文化だなあ。。

人をつなぎ、心を整え、生活に潤いを与える。

ハレとケ。

今日は特上のハレ。

 

まだワインの余韻でハイな文章で、・・・ごめんなさい。

1月2日の朝私は自分たち夫婦に向き合う

夫は嬉しそうに出かけていった。

大学時代、ラグビー部だった彼は卒業してから毎年、仲間達と社会人と学生の決勝戦を神宮まで観に行く。若い頃は9人だったが、転勤や結婚など、それぞれの環境の変化に伴い、一人減り、二人減り、近年は4人がお決まりのメンバーとなった。

それぞれがこよなくラグビーを仲間を愛している。

男達は暮れになると連絡を取り合い、今年もいけるか確認し、夫がチケットを手配する。そして当日、それぞれがもう暗黙の了解となっているものを持ち寄る。

夫はおにぎりとビール担当。もう一人は紅茶とコンビニの唐揚げ。もう一人はスナック。もう一人は九州から来るので手ぶらでよし。

そういうわけで私は新婚当初から気がつけば毎年一月二日の朝はおにぎりを握っている。初めの頃はそれこそ、緊張して、肩に力が入り、ぎゅうっと握ったおにぎりだった。今思うと、冬の寒空の下、カチンカチンになった冷たいおにぎりを、誰も文句も言わずよく食べてくれたと思う。

ラガーマンは優しい。

入院して死の淵から帰還した年も握った。根性とか意地でとかではない。本当は9月に退院し、まだまだ心も体も使い物にならなかった。当然、今年はいいよといってもらえると思っていたら、当然のように「おにぎりだけでいいから」と言われた。

危篤までいって、戻ってきたというのにこの人は何も対応を変えてくれない。正直、もっと以前より労ってもらいたかった。

まだまだ自分を悲劇の主人公にしたがる癖のあった私は「こんなに辛いのに、やっぱり大事にされいない」と悲しくなったのも覚えている。恥ずかしい。

あるとき、このことがきっかけではないが、夫と本当にもうやっていけないと思った時期が長く、あった。寝室のベッドを、並べていたのを壁と壁にはなし、会話も減り、私は笑わなくなった。

そしてずっと殻に閉じこもっていた私は、ある年の暮れ、崩壊した。

プツンと何かが切れて、紅白も終わり、息子は夫と初詣にいく支度をしに二階に上がったとき、夫とふたり、リビングにいた。突然、涙が溢れ、言葉では説明できない言いようのないやり切れなさが喉元から声になって出てきた。

初めは小さな嗚咽だったのが、自分でも抑えきれない大きな声になって、激しく泣いた。肩を揺らし、背中を丸め、しまいには「えーんえーん」と子供のように。

夫は「どうしたどうした」とそばにいた。そして、私の背中を黙って撫でていた。ひとしきり泣き、落ち着気を取り戻し「もう、いいよ。大丈夫だよ」と私が言うまでただ、黙って撫でていた。

その夫の体温とさすられている感触が、何かを溶かした。そして何かを繋げた。

この人で大丈夫なんだ。私が弱っているからなんだ。うまくいかないのは。

この人はいつだって変わらない。私が嫌いになって捨ててしまおうと思っていた、私自身を、拾ってきてさすっている。ボロボロになって小汚いぬいぐるみをいつまでも大事にするようで、そんな彼がまた不憫に思えて泣けた。

あの辺で、地獄の底を蹴ったんだと思う。

底を蹴った私は、ゆっくりゆっくり地上に向かい始めた。諦め。受容。

その晩が開けた翌日の翌日。おかずが一品増えた。翌年、もう一品。その翌年あたりからデザート、カイロ、じわじわと私も楽しむようになっていった。

握りながら、恩返しのような、詫びるような。

心の中ではそんな思いが渦巻いているが、口では「まったくもう・・」と恩を着せる。そんな私に向かって夫は「ありがとう」と嬉しそうに言う。

無垢なのだ。彼は。

ずるいことも、せこいところもあるけれど、彼の魂の色は透き通っている。

今年は伊達巻、肉団子、煮豚、かまぼこ、おなます、黒豆、栗きんとんを少しずつアルミカップに入れ、100円ショップで買った使い捨てのお弁当箱に詰めた。それにおにぎり鮭と梅。小さなカップケーキ四つと柿の種。ホカロン。大きな紙袋に入れた。

「ほら、できましたよ」

「ありがとう、ありがとう」

ほっぺを光らせて、キンキンに冷やしたビールを冷蔵庫から取り出し、大荷物で出かけていった。

尻尾をブンブン振って出て行くのを見送るとホッとする。

今年も、できた・・・。

小さな小さな恩返し。

楽しんでおいで。

うんと発散して、背負ってるものどっかに置いといで。

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。

自分の書いた文章を、その日、その場でどこか遠くで受け止めてくれる人達がいる。これは私にとっては奇跡です。このブログの中にいらっしゃる皆さんに囲まれて生活するようになって私は大きく成長しました。

遅い遅い成長です。それでも自分の頭で考え、自分の心に耳をすまし、凸凹した自分の姿が浮かび上がり、かなり戸惑い、恐ろしくなったり不安になったり、持て余したりしながらも、等身大のへなちょこな自分を「この世の中にいてもいい」と思えるように慣れたことは、人生の後半が始まる今、滑り込みセーフだったと思います。

背中を支えてくださる皆さんの力無しではあり得なかったことです。

何より、あの母を恐れることが減ったというのは。

自分を嫌いにならなくなったというのも。

そうかと言って、まだまだ大勢の中に出て行く勇気もなく、半径2キロの近所を散歩して幸せの種を見つけては喜んでいる日常です。

でも最近、それで終わってもいいかな。この狭い世界でも幸せを力一杯すくい上げてビカビカ光った生活が遅れるのなら。と考えたりもしています。

今もパソコンに向かってキーボードを叩いています。

家族が見る私は「なんかパソコンで文、書いているのかな」と映っていることでしょう。でも実は私の頭の中は遠く遠くにワープしています。

遠い宇宙に点在している会ったことはないけど、確実に存在している魂さんたちに向かっておしゃべりをしています。

今年もへなちょこ満開で行きます。開き直ってどんどん自分の皮を剥いていこうと思います。

どうぞよろしくお付き合いをお願い申し上げます。

2018年が、誰にとっても愛に溢れた年でありますように。

心よりお祈り申し上げます。

 

ton 2018年 元旦