お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

新しい私へ

文房具の一掃整理をした。断捨離とまではいかないけれど、だいぶ捨てた。

「今は使わないけど、これは大事だから取っておこう」もう何年もそのまま開けていない箱があった。今では何が入っているかすらもわからない。

開けて見ると中からは便箋や美術展で買い集めたハガキ、可愛いノート、パソコン印字用のラベル。見るとやっぱりほっこりする。ほかに入れいたものでは、どこかのおまけでもらったらしいシール、サッカー部の役員をしていた時に必要だったファイルの資料、リボン、スタンプ。当時の、息子が小学生だった頃の私がふわぁっと蘇る。あの時、確かにこれらは大事なものだった。サッカー部の毎月の会報を作ったり、当番の時に子供達にスタンプやリボンをつけてやると喜んだ。ハガキも便箋も、友達といつも繋がっていたくて、やたらと手紙を書いていた記憶がある。

ほんの10年で、この頃の私が遠い人のように思う。

可愛いカードやハガキや便箋は残し、無印の机のそばに置いた。今の私が「これ大事」と思うものはこれだけだった。

あの時あれほど「これだけは」と思っていたものが今は全くピンとこない。

そうなんだ。私は知らないうちに、大事と思うものが変化している。

なんとなく、自分の考え方が変わったなぁとは思っていたが、こうして物理的変化として感じると、それは思っていた以上に大きかった。

ものの捉え方、価値観、基準が。これだけ変わったいたとは。

きっと他のこともそうなのだろう。

もう、あの頃の私はいない。

あの頃の幼いこだわりや思考回路も、もういらないのだ。捨てよう。

人にどう思われるとか、そういったものはもう、いらない。人は人。私は私。全てにおいていいも、悪いもない。全てに意味があるし、意味がない。

怖いものはないんだ。

煩わしくまとわりついてくるあの湿っぽい考え方。もう、不要の物なんだ。

捨てていい。捨てていいんだ。ぐんぐん進もう。

一歩前へ。

昔大事で、今はいらないもののガラクタをごっそり捨てると、また一つ、強くなれた気がした。