二分の一個の梨
「自分にも人権を運動」を地味にやっている。
これまで誰かに虐げられてきたわけでは決してない。私が、勝手に。私が勝手に自分にシワを寄せる癖が染み付いていた。
小さなところでやっていた。例えば、果物を切った時、一つを四当分にする。夫がいた時は、息子と夫用に、二人で二個切った。残ったら、私はそれを食べる。大抵は残らないので、梨を剥くときの匂いで秋を感じる。
例えば、お風呂。二人がそれぞれ夜、思い思いの時間に入る。私は早く寝たいので、翌日の朝入って、そのまま風呂掃除をする。
果物は、あっという間に冷蔵庫のものがなくなると、また買ってくるのが重い。私が勝手にケチっているだけ。お風呂は、別に主婦はしまい湯と奥ゆかしいわけではない。
知らないうちに、服は皆の季節のものを買ったから、私のはまたにしよう。化粧品は一番安いのにしとこう。ちまちまと、こじんまりしていた。
私もこの家の家族だ。私の家の末っ子だと思おう。末っ子のトンにも、ちゃんとみんなと同じにしてやらなきゃ。
この前、夫がいない秋の朝、今年初めての梨を剥いた。いつものように四つ割にした。美味しそうで、食べたくなった。食べた。半分こにして二人で一個。
これが、意外と、満ち足りた朝になったのだった。
あぁ、秋だ。秋だなぁ。梨の季節だなぁ。いい朝だなぁ。幸せだなぁ。今日もいい一日が始まるなぁ。
たった二分の一個の梨でこんな穏やかな気持ちになれるなんて意外な発見だった。
それ以来、ちょっと自分にもユニクロのブラウスを買ってみたり、たまには自分の好きな献立にしたり、順番に自分にもサービスをする。
私の中の誰かが、キュンキュンと喜んで弾むのがわかる。
私の中の誰かが私に向かって「ありがと〜♪」とピョンピョン跳ねて見せているのが見える。
夜寝る時、明日の朝が楽しみになった。明日も梨、食べるんだぁと思いながら目を瞑る。