お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

あくまでも個人的考察 自分へのジャッジ

自分で自分を縛るものは幻

母の言葉を鵜呑みにした頃

曇りの日曜日の午後です。のんびり過ごしてもいいような気になる曇り空。太陽が出ている日は、気持ちが高揚して気分も明るくなりますが、そういう時に一日中家の中で過ごすと、何かとてもいけないことをしているような、うっすらとした罪悪感が私の背中を突っつくのです。

気がしているだけで、それほどいけないことではないのだと、今は分かっています。

ではなぜ、そういう気がするのか。それは、育ってくる時、重要な大人に言われた言葉が強く自分の信仰となって残っているからです。

「今日1日、何したの?みんな働いたわよ。」

「少しは生産性のあることしなさい」

「動かないなら本の一冊でも読んだらどうなの」

私の場合はそれが母でした。これが、言われたその当時に私の頭と心に瞬時に響けば、母も私も平和だったのですが、残念なことに届いたのが今頃。

 

本当は自由なのです。

ダラダラ過ごそうが、勉強をしようが、人と会わずに趣味に打ち込混んで引き篭ろうが、死ぬ時、本人が「あぁ面白かった」とくくれれば成功だと思います。

宗教も信仰する自由、そこへは踏み込まない自由。

迷って迷って苦しむことも、辛くともあっていい。

何にも深刻にならずに、毎日お気楽で生きられるのなら、それこそ誰もが求めていることなのです。その質を他人がとやかく言うのは、余計なお世話です。

今、いろんな情報があふれてあっぷあっぷしそうです。

1日10000歩は歩きましょう。肉食よりは草食。いや、肉はいいけど、炭水化物はダメ。自己主張の強いのはいけない。空気ばかり読んでる奴はつまらない。夫婦は共通の趣味を持ちましょう。いや、お互い好き勝手に過ごすことがうまくいくコツ。子供は小さいうちにいろんなことを習わせましょう。興味を示したものを親が伸ばすのが一番。献立は品数少なくともきちんと出汁をとった手の込んだものを。

食卓に楽しさを彩ることが大事、お惣菜が並んでも笑顔が並べばそれでいい。

・・・頭の悪い私は、あっちにウロウロ、こっちにウロウロ。

では、生真面目な私の母がいけなかったのでしょうか。

違います。確かに私の母はかなりの過干渉でしたが、そのような親は世の中に彼女だけではないはずです。そのメッセージを受け取る側の私がそれだけを唯一正しいものと頭に刷り込んだからだと思うのです。

この頃、私が例えば、友達のお母さんとかではなく、学校の先生でもなく、もっと多くの大人に出会って話をしていたら、いろんな考え方で生きている人間がたくさん存在するのだということを知ったことでしょう。小説でも漫画でも人の作った世界観に触れれば、自分だけのものの見方や好みが早く構築されたかもしれません。

選択肢はたくさんあったのです。道はたくさんあったのに、怖がって、目の前の大きな整備された道だけを無難に選び続けたから・・です。

では、私がいけなかったのでしょうか。

・・・ここです。少し前。ほんの二ヶ月ほど前までの私は、ここで、自分を責めていました。

こんなに自己評価低く、迷ってばかりの自分は未熟。誰のせいでもなく、自分の生きて来た道が他人軸だったから。こんな大人になっちゃった。

修正できないミスを人生のはじめでやらかしたような重い烙印を自分で自分に押していました。

それがこのところ、少しづつ、烙印の痕跡が薄くなっていくのを感じます。

ブログを始めて、実にたくさんの人の日常や考え方、興味を持っていること、はまっていることに触れるようになりました。

それは雑誌に載せるためにデコレーションされた女優や作家の日常ではなくて、昨日、今日とつながっている、普通の人の普通の声。

もちろん、それぞれが他者に見せることも意識しているので、少しは加工することもあるかもしれませんが、それでも人柄や思想のようなものは伝わります。

共感できるブログには親近感を持ちます。反発したくなる人のブログもあります。けれど、ずっとその人のものと読んでいくと「通じ合えないけど、こういう考えの人もたくさんいるんだ」と世界が広がります。「なんじゃこりゃ」とびっくりするようなことに一生懸命になっている人もいると嬉しくなります。

私のフィルターを外せば、どれがいいものとかありません。全て、ただ、一人の人が作っているブログでその価値は同じものなのです。

ある人にとってはかけがえのないものになるかもしれないし、ある人にとっては興味の湧かないものかもしれません。

読者さんが多いから私が好きかといえば、違うし。個人的には生活感が出ているものが好きですけれど、情報を求める人もいるでしょう。

どこに、何に、自分がスポットを当てるか

こんなに簡単なところに行き着くのにどんだけかかったのでしょう。

・・気づいてよかった。

野菜を食べ続ければ、ある日、猛然と肉を欲するかもしれない。

肉を若い頃たくさん食べていたら、ある時期から「飯、味噌汁、漬物」が食べたくなるかもしれない。

細胞だって一人一人違うんです。

そしてその細胞ですら、日々、壊れ、日々、再生しているのです。

どうして、必要とするものに定番があると思ったのでしょう。

環境も、人間関係も、経済も全部動いていくのに。

そして、何を信じるかこそ、自由なのに。

ブレブレの私がうっすらとわかってきたこと。

自分で自分を追いやって苦しく生きてきましたが、ブログを始めてよかった。

いろんな人がいる。

いろんな泣き笑いがあって、苦しみがある。

そして、どっかにもしかしたら、こんなダメダメで未だに大人になりきれていない私のブログを読んで、気が抜けたり、安心したり、こうはなるまいって考えたりする誰かがいるかもしれない。

全てはつながって展開していく。

それを知ると勇気と元気が湧く。

 

みなさん、私に力をありがとう。

・・・なんだか青年の主張のようになってしまった・・。