そろそろ持ってきて
ベッドの向きを変えた。窓近くに置いていたが夜分冷気を感じ寒くなってきた。
これから一気に冷え込む。
部屋の真ん中にデーンと配置した。
息子の羽毛布団からふわふわと小さな羽が飛び出してくるので打ち直しに出した。
それがまだ戻ってこない。
タオルケットにくるまって本人から苦情は出ていないが彼の部屋は北向きなので、やむなくわたしのものをカバーを付け替え息子用にした。
私は今毛布と薄がけ羽毛布団を重ねてかけているのだが、ボチボチ限界だ。
いつ、戻ってくるのか打ち直し羽毛布団。
待ち遠しい!
利息貸し
「今年もさ結婚記念日忙しくて、気持ちだけってことで、ごめんね」
「はぁ?やだ!なにいってんの?甘ったれるんじゃない。お花くらいかってこられるだろうが。なんじゃ、気持ちだけって。気持ちがあるならなんか持ってこい!」
もちろん冗談である。
「あら。トンさんいけません。そんなはしたない。そんなこと言っちゃいけません」
「うるせえ。忙しいんだな、別に欲しいものがあるわけでもないからいいかなって黙っていれば、もう何年だ。結婚記念日も誕生日もずーっとなんにもなしじゃん」
「・・3・・5年・・?」
なにか物が欲しいわけじゃない。私は指輪もハンドバッグもブランドもあまり興味がないので、じゃあダイヤモンドの指輪買ってあげるよと言われてしまうと正直、「それだけのお金があったら別の方がいい」と思うのだ。
じゃあなにが欲しいのと言われば困ってしまう。
アンティークのデスクだったり、陽のいっぱい入るサンルームだったり。ツリーハウスとか。パソコンも欲しい。南房総のお花畑も箱根のススキ野原も。
しかしそれらは今の夫には無理な話で、年がら年中講習やテストに挑んでいる相手に望めない。
定年退職をするのを待つしかないとあきらめている。
そこに息子が割り込んだ。
「おい、うちの教授は休みに奥さんと二人で映画をみてきたって嬉しそうに話すぞ。昼ごはんに寿司をごちそうしてやったと言っとたぞ。おやじ、母さんに寿司なんかおごってやったことあるのかよ、外で。」
「この前ドトールで二人で食べたよ、母さんにご馳走したもん」
「ドトールじゃねえんだよ、教授は夏休みには息子おいて、二人でニースまで行ってきたんだってよ。そういうのしてねえだろ、一回も」
「だってぇ」
「だってじゃねえんだよ、甘ったれるな、母さんが黙ってりゃいい気になりやがって」
「ヒーン」
「ヒーンでごまかすんじゃねえ!」
記念日は一週間後である。
夫はやっぱりいつものように、当日の起きたら真先に「結婚記念日おめでとう。ことしもよろしくお願いします。結婚してくれてありがとう」と嬉しそうに言う。そして「今日は早く帰ってくるね」と言って、本当に早くに帰ってくるはずだ。いつも通り手ぶらで。
それでいい。今はそれでいいのだ。
気まずさや義務感からとりあえずにと、パパッと店先でそれらしきものを選んでチャチャッと器用にやられちゃうより、彼の言う通り「気持ちだけ」でいい。
・・・今はね。
利息をたっぷりたっぷりたっぷりと・・・。ふっふっふ。
映画を観に渋谷へ
「オメエまだ観に行ってねえだろ、あれから」
息子がジロリを私を見た。
「日本人としての損失だぞ、あれを観ないとは」
天気の子の話である。新海誠監督の映画だ。息子はこの監督の初期の映画にいたく感動し、大学を選んだ。
ま、結果としてあまりにマニアックすぎて宗教色の濃い授業にノイローゼになりかけ、一年で学科を移ったのだが。それでも人を感動させる仕事がしたいというのは未だ変わらないようだ。
「あれは音楽を聴きにいくだけでも価値があるからいってこい」
普段あんまり私に作品を推してくることがないのに、これは強く薦めた。
正直私のテイストではないんだがなあとのらりくらりしていたら、言われてしまった。
つい先日、NHKでこの映画の特集を組んでいた。
録画していたそれを夕食後観ているうちに、また熱が甦り、そういや母さんに観てこいと言ったが・・と思い出したのだろう。
「そうはいうけどさ。なかなかまとまった時間がとれなくてさあ」
あながち嘘ではなく家事の段取りが悪い私は、人働きすると疲れてしまって動けない。そこに通院だの、銀行だの母の話し相手だの、お使いだのと、どうでも良い程度の用事がチョコチョコ入る。
とは言ってもそれはやはり言い訳で。
着替えてお化粧をして電車にのってまで観たいという衝動に駆られないというのが一番の理由なのだった。
「飯なんかいいから行ってこい」
というわけで今日行ってきた。
うーん。正直言ってわかったようなわからなかったような。
ね、あれってどういう事?って聴きたい場面がいくつかあった。筋としてはわかるんだけど、なにを訴えているのかわかるようなわからないような。掴めそうで掴めない。
「感情の起伏の少ない俺でもあれはぐっときた」
息子がどこにぐっときたのか、なにを感じ取ったのか。
ああ、あの人が好きそうな世界観だな。透き通って、純粋で複雑で頑な。現実のなにかに問いかけている。
年齢にしては未熟で青臭いと自分のことを認識している私は、どこかで感動できるんじゃないかと期待していたが、ただ映像が美しい、この筋は結局どう終わりにつながるのか、この曲の歌詞はいいなあと、薄っぺらい感想で終わった。
館内には私ぐらいの年齢の女性二人組がいた。あの人達は感動したのか。涙をぐっとこらえるところがあったのだろうか。
それでも二時間、ぐっと画面に引き込まれていたようで、今何時だろなどと時計をこっそり見ることなくエンドロールまでこぎつけた。思っていたより短く感じた。そこは、ちょっと安心した。
なんとか、ギリ、ついていけたってことじゃないかと・・・。
映画館を出ると急にお腹が空いた。
せっかく渋谷にきたのだからどこかで食べようかと思ったが、頭が回らず決められない。
若者も中高年も皆、流行を取り入れた格好をして街を歩く。
服が欲しいような気がして店を見て回ると、確かにそこにちょっと気の利いたオシャレなニットのセットアップがあった。それを着れば私も素敵な人風になれるような気がする。しかし、今この場を離れたらそれはどうでもいいようなことになりそうだと、店を出た。
あの服で演出された私は今のヘンテコリンな私を薄めてくれるだろう。
ヘンテコリンがコンプレックスなくせに、いつしか自分のヘンテコリンに愛着が湧いていることに気がついて、またちょっと安心した。