お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

シンプルにシンプルになろっと・・これからは・・できるだけ

息子は結局眠り続け、今朝の4時に私の枕元に立ち、「頭痛治った。これからお風呂はいる。何か食べるものある?」と言いました。

よかった。一瞬のぐらつき、そして日常が戻る。

よかったと、心がほぐれ穏やかな気持ちになっているのとは裏腹に、「大丈夫?」「よかったね」と、言わないんだな、私。

朝食を出して、湯気でモワモワと熱気を帯びた浴室を洗っているときに気がつきました。

「よかったぁ。安心したよ。今日も気をつけてね」

そう言ってあげれば一番わかりやすくて、相手も心がほぐれるだろうに。

「今日だけは水じゃなくてポカリ、飲んでね」

「バイト先の人が飲みすぎると糖尿病になるって言っても、それはこういう場合は当てはまらないから。昨日だってご飯食べてないし、カロリー的にも、500ml一本、ご飯一膳より少ないんだから。飲みなさいよ。」

と、言う。

息子もいつも何も言わない私が口うるさいので、これは真剣に言ってるのだなと察知して「へぇへぇ」と受け取る。

息子がまた不調になって、また、自分の心がざわざわしないように、言っているのかもしれない。私。

「ま、とにかく今日も楽しんでくるよ」

そう言って家を出て行く息子の方が、生きるってこと、うまいのかもしれない。

充実だの納得だのいう前に

朝、ニコニコ笑って手を振って出て行った息子が、頭がいたいと呻くだけで、うるさいくらいダジャレを言って踊っていた息子の存在がどんなにありがたいものだったかと思う。

いつもそうだ。

インフルエンザになった時も、肺炎になって入院した時も。ちょっとした疲れで微熱が出ているときだって。

いつも、そうなってみてから、慌てて、あぁ元気でニコニコしていてくれれば、それで十分。と思う。

多分、私もそうなんだろう。

私が何か立派なことをして見せなくても、充実した一日を過ごしていようがなかろうが、ケラケラのんきに笑って、普通に生活していることが、家族のこころの安定につながるのだろう。

本当に、そうなのに、どうして私は。

何かしようとするのだろう。

今の私は、普通に生活しているけれど、まだ、昔のようにゲラゲラ大笑いするほど心も体も元気じゃない。

自分の満足のための生活に目がいきすぎていた。

まずは、ケラケラ笑おう。

なにか言われるとすぐ、心が乱れてズンと沈むところから一歩、上へ。

ふん。って図太くはねのけてカラッと笑う、いいオンナになろう。

 

アクシデント

今日はなぁんにもせず。

息子のアルバイトに付き合って私も4時半に起きたら、午前中は使い物にならず。

見送ってすぐ散歩に出かけたっきり、あとは朝食をとったあと床に転がってテレビを見ながら居眠り。転がりながらアイパッドでユーチューブを検索して、眺めるも、気がつくと寝ていた。

夕方、散歩がてら薬局とユニクロとスーパーをぐるっと歩いて帰ると、さっきまで私が寝っ転がっていた場所に息子が転がっている。

「どうしたの?」

「・・・頭痛い」

熱中症だ。野菜ジュースに少し塩を入れて飲ませ、頭痛薬を渡す。干してあったシーツを取り込み、セットして、彼の部屋のエアコンをつけた。

「ほら。二階、涼しくしたから。ここより休まるから少し寝ておいで」

「う〜」

「今夜は夕飯、いらないかな」

「昼、食べられなかったからお腹は空いてる・・・」

「食べるんだ」

「食べる。痛すぎて今は無理だけど」

よかった。食べたいと思うなら少し安心。

今日、無理して私、頑張らなくてよかった。

受け止められてよかった。