透きとおった人
朝寝坊をした。朝のやり取りをすっぽかした。
このところのパターンとして、朝、7時半に単身赴任先の夫と、どちらかから電話をし、「おはよう」「おはよう、朝ごはん、食べた?そう。いってらっしゃーい」と業務的な会話をする。
そしてそのあと、夫がラインで「いってきます」と打つ。通学途中の息子が電車の中から「うむ」。私がおばさんが両手をあげてガンバレと手を振っているスタンプを打つ。
義務でもなんでもないけれど、なんとなく毎日続いていた。
目が覚めたら8時だった。今日は息子の学校は授業を入れてないので休み。それでもたいてい私は6時には起きているのだが、今日は4時に目が覚め、あと少しと、また目をつぶった。
慌てて、電話をする。確か、昨夜もこんなことがあったような気がする。あっちは11時過ぎまで仕事をして同じ時刻に寝たのに、今日もちゃんと起きている。圧倒的に申し訳ない。
すぐ、出た。
「おはよう」
よかった。声は明るい。
「おはよう。寝坊した。ごめん。もう会社?」
「うん。学校は?」
「今日、休みなんだ」
「そうか。」
じゃ、頑張ってみたいなことを言って電話を切った。
責めるでもない。夫はいつもと同じトーンでいつものように話し、仕事に戻った。
食事中、くちゃくちゃして嫌。動作が雑で物音がうるさい。YouTubeばかりみるし、お風呂のあとにはわけのわからないものが浮いていて汚い。休みの日は寝巻きでパソコンの前に座っているか、テレビ。家事はしない、できない。
文句はたくさんある。たくさん、ある。
けれど彼が時折見せるこの、健気さを持つ透きとおった心を前に、私は、かなわないと思う。
ラインを見たら、いつも通りの「おはよう」「いってきます」が3回、あった。
まっすぐの人
昨夜、夕食の後、映画を観ながら気がついたら寝ていた。12時。はっと思い、iPadのラインを確認する。
やっぱり。夫がラインを入れていた。
私たちはファミリーラインを持っている。これは単身赴任が始まる前からで、基本的な役割としては、震災などの非常事態のときに連絡を取り合うために息子の提案で作った。実際のところは、日々それぞれが「これから帰る」とか「テスト頑張れ」とか「家を留守にする」とか、してもしなくてもいい会話をそそっと打ち込み合うものとなっていた。
4月から夫は姫路、息子は大学進学とそれぞれが気負った生活が始まると、このラインは意外な役割を持ち始めた。
朝。「おはよう」と夫。「おはよう」と私。「うむ」と息子。
夜。「みなさま、お先に寝ます。お仕事も課題も頑張りすぎず、明日もあるので早く寝るようにしてください。お休みなさい」と私。「おやすみ、まだ会社です」「おやすみ」
夜。「今、仕事が終わりました」夫。・・・・。「今、帰宅しました。これからご飯です」・・・。私は寝ている。・・・・。「これから寝ます。おやすみなさい」するとそこに「はよ寝ろや」と息子。「元気か?」「うるさい、寝ろ」「学校、どうじゃ」「うるせえ、寝ろ」二人の会話が短く残っている。
それが、昨夜は私も息子も寝入っていた。
見ると、「今、帰りました」のくだりがいつものようにあり、だぁれも返事せず、最後は「おーい、おやすみ」となっていた。慌てて電話をかける。
すぐ、出た。
「ごめん、食後、うたた寝してた」
夫は今日は夕飯はチェーン店の牛丼だったといい、仕事が山ほどあること、でも人はみんないい人だということ、を酔っ払いながらいい、最後に、変わりはないかと聞いた。
「ないよ。大丈夫」
電話を切るときに夫はこう言った。
「ありがとう。元気出た」
これは反則である。
夫にはこういう素直なところがある。これをやられるから、私は彼を男としてではなく、人として向き合ってしまう。
太陽
今朝の日の出の瞬間。
日の出っていうけれど、ずっと存在するものが目の前に見えるようになる瞬間。
太陽はいつもただ、あるだけ。晴れの日も曇りの日も、台風や雪のときだって。
こちらにいる私は、今日は機嫌がいいとか、隠れたとか思い、あんまり辛い気候が続くと、機嫌が悪いのかとすら思ってしまう。
雲の下で起きてる現象と全く関係なく、ただあるだけなのに。太陽は。
息子が私のことを気にかける。
元気がないと具合が悪いのか夫がいなくて寂しいのかと聞いてくる。
返事が短い一言だけだったりすると、昨日のあれか、さっきのあれかと、自分が怒らせているのかと思うらしい。
彼自身が、若者らしく、1日の中で嵐のように猛々しく怒ったり、鼻歌歌ったり、ため息ついたり、ゲラゲラ笑ったり忙しい。
母親の私も、その表情と声と仕草に息をひそめたり、緩めたりしているのだ。
私達もただ、在るだけ。淡々と日々、暮らしているだけ。
太陽と違うのは、私の中に嵐も曇りも雨も晴天も台風も全部、あること。他人の天気に引っ張られそうになること。
心の中は自由。自分が自由でいたいのだから相手も自由でいさせてあげたい。怒りたいとき、ため息つきたいとき、一人になりたいとき、人恋しいとき、どれも我慢しなくていい。
それに振り回されず、けれど寄り添っている、安定した穏やかな天気の人でありたいなあ。