お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

一瞬で気分が変わるから

今日はどうやって過ごそうかな。

「三月のライオン」のラスト3巻を借りてきて読もうかな。いや、それ借りてきて読み始めると、今読みかけの課題本、また後回しになる。学びたいことに関する本。あれ、読まなくちゃ。今の私は娯楽より知りたいの方を優先させる時じゃないかな。

いやいや、そろそろ作り置きもなくなってくるから、食材買ってきて、おかずを作りだめしておこうか。いやいやいや、明日は息子が休みで家にいるから、好き勝手に出来るのは今日のうち。ドトールに難しい本を持って行って集中して読もうか。いやいやいや。息子が家にいるからこそ、ドトールは明日で、今日は家でまったり。とすると、やっぱり漫画を借りてこようか。

なんてどうでもいいことを考えながらお風呂を掃除して、洗濯物を干しに二階に上がる。

ちょっとだけ。

パソコンを開けちゃうと、ついつい時間が過ぎていくので、家事が全部終わってからにしようと思っているけど、ちょっとだけ。誰か更新してるか見るだけ。

パソコンの電源を入れて、パスワードを入れて待つ。・・・・。

何がどうなったのか、昨日、調子よく動いていたパソコンが起動しない。主電源を切って再起動。だめ。復元モードで再起動。だめ。じじじじ。変な音がして途中で止まる。

壊れた?再起動。パスワード。電源を切ってまた起動。だめ。もう、こうなってくると、さっきまでののどかなどう過ごそうかなんてどうでもよくなる。パソコンの起動問題で頭はいっぱい。

結局、システムの再インストールをし直して、設定を少し変えたらまた動き出した。

この間、約1時間半。お昼もとっくに過ぎてしまった。

もはや、ドトールもツタヤに行って漫画を借りてくるも、もう、どうでも良い。とにかく良かった良かった。平和な日々に戻った。

結局こういうことなんだな。日々、太った痩せたとか、髪を切りすぎたとか、シミができたとか、あれを買おうか、あそこ行こうかとか。そんなことは、この程度の小さなアクシデントの前では吹っ飛ぶ。

頭を何でしめているか。どこにアンテナを向けているか。

それが、自分の心の平安につながっていくんだ。

それなら。

いい気分になる音楽。好きなドラマ。好きな本。好きなドトールのあの席。好きな窓からの景色。好きな夕焼けの見える窓。好きなラジオ番組。好きな食べ物。好きな公園。好きな匂い。好きな・・・。

人生の課題を心の平安としたのだから。好きにアンテナ向けておこう。結構、まめにチューニングしないと、好きも変わるから、こまめに。

アンテナの向きを大事にしよう。

 

パソコン、なおってよかったぁ。

基本から

今、急に浮かんだこと。

私は「愛とは赦し」という姿勢に憧れてきた。人を恨まない。大きな懐で受け入れられる人でありたいと生きてきた。

嫌味を言われても、それを笑って流せる自分になろう。

疲れている時に強引に誘われても、付き合える体力をつけよう。

もっと強く、もっとタフに。自分を強化すれば、たいていのことは消耗せず対応できるだろう。そう思って自分を鍛えた。

でもそれはその場しのぎの対応であって、本当の心をさらさずに相手に応えているのだから自分は納得していなかった。芯のところでは。

無理して合わせてあげているくらいの傲慢さもあったようにも思う。

本当に正しいのは私。あなたに合わせてあげているの。

やなやつだ。可愛くない女っていうのはこういうのをいうんじゃないの、お父さん!

 

愛とは赦し。自分への赦しから始まる。

他者を赦す前にまず己の汚さ未熟さ矛盾を丸ごと抱えて赦すこと。それができてこそ、他者への赦し。

あつかましい。自分のことも受容できずに人様を赦してやろうだなんて。

自分赦しの初心者は、やっぱり基本、自分軸から始めよう。

自分軸へ

昨日の夕方、雨のなか近所の知人が寄ってくれた。買い物に行く途中に我が家の単身赴任生活をどうしたかと見に来てくれた。

息子と祖母の喧嘩のやり取りをかいつまんで面白おかしく言う。

愚痴ではなく笑い話のつもりだった。

「そういう時はうちにおいで。明日、午前中おいでよ。お昼用意するから。話聞くよ」

彼女はいつもそう言ってくれる。ありがたい。「ありがとう。」

けれど、私はきっと行かない。昔からそういう癖がある。

自分の抱えているモヤモヤを人に言うことができない。

一人で処理できているのでもないけれど、言ったところで結局自分でどうこうするしかない、所詮、私のことだし。

高校大学時代の仲の良かった友人に

「いつも後からこういうことがあったって聞かされて、悩んでいる時は話してくれないんだね」

と言われたことがある。その時、初めてそのことに気がつき、それはとても冷たい人間だと指摘されているようで混乱した。これからは自分が辛いことを実況中継のように共有しないといけないな。親友ってそういうものだよなぁ。

恋人のこと、デートで何があったか、何が嫌で何が嬉しかったか。進路のこと、この前あの大学って決めたけど、やっぱりこっちにする。意識して話すようにしているうちに、だんだん現実と報告のズレがたまったり、自分の心のずるさや矛盾に向き合わなくちゃいけなくなったり辛くなってきた。清廉潔白を良しとしていた若い私は、人に話せる自分であるよう人生の駒を進むようになっていった。

誰に見られても恥ずかしくない生き方。

終わりのない母からの批判にブチ切れる事が出来ず、心を病んだ。母の期待に応えていい娘を本気でやった。陰ひなた無く、心の中からいい娘であろうと努めた。

誰に見られてもいい娘さん。

 

私は父親っ子だった。

お父さん。今でもこの単語を打つために頭の中にこの響きが浮かんだだけで、脳の中心部がきゅっと熱くなる。

お父さんはお母さんが大好きだった。母自身、それを承知していた。言うことを聞かないときは父に報告する。父は「僕はお母さんの味方」とだけ言って、喧嘩の仲裁はしない。ドロドロしたところには入ってこなかった。迷惑そうだった。「お父さんは可愛げのない女は嫌いよ」母の最終兵器だった。

母と二週間も三週間も口をきかないのは全く平気だったけれど、父に嫌われるのは嫌だった。父には愛されていたかった。庇護下に置いておいてほしい。だから可愛い娘に戻るのだった。歯を食いしばって折れた。母親を睨みつけ激昂する恐ろしい私を父の前にさらすことはできなかった。

 父が死んで18年。もう、父のせいにもしてられない。いつまで子供でいる気だよ。

 

「おはよう。昨日はありがとう。今日はだるいのでこれから二度寝します。気にかけてくれてありがとう」

今朝、彼女に7時にLINEした。また誘ってねとは書かなかった。本当にそうして欲しいとは思ってないからやめた。

無理をしたら行けた。心配してもらっている友人という役割をこなせた。単に気が乗らなくて、しんどかっただけ。

でもこのわがままなのが本当の私。ほっといて欲しい。気ままに過ごしたい。一人の時間も好きな人。

自分に嘘なく自分に見られてズレのない私を目指す。