お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

手間ひまかける

雨なのでスーパー以外は家にいた。

今夜はキャベツのカレー。受けがいいかどうかは知らないけれどキャベツを間違えて多く買ってしまった。半分に切ったものがあったのに、一玉。

鶏肉も、冷凍庫から出して解凍したものが200グラム、冷蔵庫で出番を待機している。一度解凍したものは早く使わないといたむ。胸肉、玉ねぎ、キャベツのカレーに決定した。

いつもはもも肉を使っている。鶏肉の旨味が出て家族はチキンカレーが一番好き。それが諸所の事情によりキャベツたっぷりで気のないカレーになるのに、さらに淡白な胸肉を使うというところが弱気になるポイント。いつものように、好物を作ってあげるという、ふてぶてしさもなく、どうにか美味しくしようと頑張る。

細かく細かく野菜を切り、玉ねぎはいつもの倍時間をかけてじっくり炒める。

鍋底からかき回して、色をじっくり見て、甘い香りがし始めるまで時間を気にせずやる。胸肉は細かく切ってから、はちみつと酒とで少しもんで、別のフライパンで少しだけ炒めて、取り分ける。私の料理で、取り分けるなんて、手間はたいてい省かれるが、今日は弱気なので、そうさせていただく。少しでも美味しくなってくれ。受け入れられるカレーになってくれ。

玉ねぎかねっとりしたら、キャベツと肉と水とローリエ、カルダモン、コリアンダーを入れる。弱火でコトコト。

弱火でコトコトとか、取り分けて戻すとか。

あぁ、料理ってこうやって生活の一部の流れの中でするものだった。

時単、簡単、手間なしばかりを追い求めて、一切、排除していた。

知らなかった。時間をかけている間にこんな気持ちになるんだ。本当に家族の顔が見える。

鈍行列車の景色の味わいは料理にも、なんにでもあるのだな。

ゆっくり、時間をかけて作っっていくもの。自分自身も。

カレーのルーも、いつものようにどばっと割入れないで、慎重に慎重に味をみながら少しづつ加えてはかき混ぜる。

 

100歳の祖母のところに会いに行く。母と。最近、母と行動を共にしても、前ほど辛くはならない。長時間は苦しくなってくるし、全く無防備でいることはまだできないので、妙な疲れ方もするけれど、ずっと楽になってきた。

祖母は相変わらず元気。しゃかしゃか歩き回り、冗談もいい、ツッコミも入れ、お土産に持って行ったスイカに大喜びにかぶりつく。

やっぱり人は、上機嫌で生きていることが最上級なのだ。それさえできるようになれたなら、達人なのだ。

理屈じゃない。本能的に感覚的に。

 

息子の制服を捨てた。中学高校の詰襟、スラックス、ワイシャツ、ベルト、結構な量と重さだった。

ひとつひとつたたんで袋に入れながら、つい、しんみりしそうになる。いろいろあった。決して楽しいばかりではなく、悩み、苦しんだ時もあったし、親子で取っ組み合いの喧嘩もした。靴を隠されて親子で相談して私が学校に乗り込んだこともあった。卒業式にはなかった感情が溢れてきそうになったので、急いで詰めて、袋を縛る。

センチメンタルはいらない。今。今。今。今、だけ。

 

祖母は昨日のことはもう、忘れている。すっかり記憶にないから、彼女の中には事実は存在しない。

嫌なことも、嬉しかったことも、覚えていないというより、ない。

でも、今日もご機嫌。毎日が楽しいと言う。ここの施設の人はみんな優しい。ご飯も美味しい。どこも痛くない。幸せだという。

苦労の連続の人生を振り返ると、不憫になりそうになるが、そんなのいらないのだ。余計なことだ。

今、幸せよ。彼女はいつもそう言い切る。

激走の日々

ちょっと前に走らない春だと、のんきなことを書いていたのは嵐の前の静けさだった。

息子が大学で必要なパソコンを購入することにまつわる騒動勃発。

ダブル主演、息子、母。助演、私。監督、私。

授業は映像表現なのでMacが必要。グレードもスペックもメモリもいろいろ。本当に必要なものはどれか。予算はいくらと見積もったらいいのか調べないといけない。

スポンサーは母。入学祝いで買ってくれることになっている。それならばきちんと「これこれ、こういうのが必要なので、このくらいかかります。いかがでしょうか」とお願いに上がらないとならない。ところが買ってもらう本人は、まず、その作業がわからないことだらけで億劫。もひとつ、本当はMacがいいとわかってはいるけど、これまで使ってきたWindowsから切り替えることが不安。

「大学ではMacを使うらしいけど、Windowsでもできないことはないって言ってた」

とよりによって母のところにこれを言いに行っちゃたものだから、サァ大変。全てはここから始まった。

母が姉を呼び出し、二人で息子に「面倒だからって逃げるんじゃない、もう一度先生に聞いてごらんなさい」「いっつも何でもかんでも心配ばっかりして挑戦してみようとしない。発想が暗い」「意気地なし」とやったらしい。拗ねていじけて怒って帰った息子を追っかけてやってきて「大げさねぇ」と、私も育て方を責められる。

一時は完全にこじれ、パソコンいらない、そんなら買わないまでに。

それをどちらもなだめすかし、時には怒り、時には説得し、なんとか、穏やかな土曜の午後に持って行ったのが昨日です。

激しすぎた。特に母が。

年をとったんだなぁ。言っていることが感情によってコロコロ変わるので、昨夜、納得して終わったはずの話が、一晩明けると変わって頓挫してしまうの繰り返し。

「あれからいろいろ考えたんだけど」

それをまた、笑いに変えつつ、軌道修正していく作業はとても消耗する。突然泣き出し、「ちょっとお祝いしてあげようと思っただけなのになんでこんなことになるの」とやられた時にもう、観念した。

老いたのだ。駄々っ子と同じで理屈は通用しない。

愛はある。息子を取り巻く愛。そこだけに焦点を当てよう。

そしてそれを受け取る息子には今、環境の変化の大きさに心身ともに疲れ切っている。それだけのこと。それだけのことが原因でこじれただけのことなんだが今回はよじれが複雑に絡まってしまって解くのに手間取った。

今日は日曜だけれど、息子は朝から晩まで学校オリエンテーションでいない。正直ホッとしている。

 コンコン。ノックの音。

「あれからよく考えたんだけど、ちょっといい?」

きた!母が!

ヒョエ〜。