お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

かわいいと言うかなんというか

昨夜、トイレに入っていたら、母が「ちょっと見て」とやってきた。

「トイレ?ちょっと見てよ」と待っている。何事だろう。なんかやらかしたっけ。

警戒しつつ、平静を装い、「何でしょう」と出て行くと自分の頭を指差して

「なんか、変?」と言う。

「何?別に何とも無いけど。なんで?」

「ずいぶん前にヘアーピース、安物買ったんだけど、使ってなかったの。つけてるの、わかる?」

後頭部を見せる。あぁ。言われてみれば。照明に照らされて、少しだけ色味の違う箇所があるか。

「言われればね。言われればわかる」

「わかる?変?」

「変じゃないよ。言われなきゃわかんない。馴染んでる。間違い探しをしなさいって言われればわかるかなって程度。変ではない」

『そう?そう?みんなが変っていうから」

「みんなって何人」

「え・・まぁ、それは、いいじゃない」

「何人」

「みんなよ」

彼女は人から批判、指摘されることをとても恐れる。自分が気に入っていればいいと言う感覚はない。子育てにおいても人との付き合いにおいても、着るもの買うもの、ベース、人と比べておかしくないか、人様に恥ずかしくないかが基準となっている。おそらく今日も、学生時代の友達と会ってきたから、そこにつけていって何か言われたのだろう。

「あのね。5人程度の知り合いの中で2人がおかしいって行ったからってそれは世界中の中から見たら、みんなとは言わないんんだからね。世の中のちょっと接触した人の意見に過ぎないんだよ。」

「だって」

するとそこにいた息子が言った。

「おかしくない。あってもなくてもおかしくない」

 

そう。欲しければ欲しい。好きなら好き。そこは勝手でいいじゃない。

ヘアーピース、高額の買い物したと興奮して私にいいに来たのを忘れているようですが、私は、それを無駄遣いだなんて責めたりしません。嬉しいならいいじゃないですか。どうして、そう小さく嘘をつくんだよう。

 

 

がらん加減

夫の机がなくなってスペースが広くなったので自分のベッドを寝室の中央に置いて喜んでいた。

夜中に落ち着かず、ベッドを動かす。

根っからの庶民体質である。壁にぴっちり寄せて、壁に顔を向けて縮こまって目を瞑る。そうそう。これこれ。

朝、ベッドから降りるとき、くるっと身をかわして床を見る。がらん。カーテン越しに朝陽が入り、少しだけ光る。

嬉しい。やっぱり、この床のがらん加減が嬉しいのだ。

余計なものを増やしてここに置かないようにしよう。

 

寝室にあった夫の大きな机が赴任先に移動したので、部屋ががらんと広くなった。

嬉しい。部屋にあるのはベッド二つと鏡台とテレビ台、小さな本棚。8畳なので、人によっては、「がらんとなんかしてない」と言うかもしれないが、ガランだ。

床に積まれた本、紙袋、机の下の本、雑誌、机の上の・・・。そこに、幅140センチのデスク。そして椅子。これが一気に消えた。

天気のいい午前、二階に太陽の光がたっぷり入り、床を照らす。

私のベッドを動かしてみた。部屋の中央ど真ん中にどんと、持ってきた。女王様のベッドのようだ。足元にテレビを置いて、寝ながら見られるようにもしてみた。

ウキウキしてきた。そして、はっとする。

いかん。今からこんなに快適を追求したら、夫が帰ってきたとき、この配置を元通りにすることが苦痛になるかもしれない。

また元に戻す。

洗濯物を干しながら、ふと思った。

あぁ。私はいつもこうして、先を先を想像して、自分を心地よくさせることからあえて遠ざけるようにしてきた。あんまり甘い蜜を吸うと、後で、辛くなるなんて、どうして決まっているんだろう。自分のちっぽけな発想を確かなものとして、今を押さえつける。

二年後の事なんて、わかる由も無い。

明日のことだってわからないというのに。

また、ベッドをど真ん中に置いた。