100歳の祖母の爪をつむ
昨日母と、特別養護老人ホームで暮らす祖母のところに行きました。
昨年の10月で100歳になった祖母は、このホームでの最長老です。
広間で他の入居者の人達、スタッフと洗濯物を畳んでいるところでした。
私の姿を見つけると、「あらぁ」といい、手を止め、立ち上がります。
認知症なので、私はほっとします。よかった。覚えてる。
さっき話したことも忘れるので、しばらく間が空くと、孫のことな忘れてしまうかもしれないと不安になります。
スタスタと歩いて自分の部屋に私たちを招き入れます。
何もつかまらず、スタスタ歩いてる。ここでまたホッとするわけです。その歩きっぷりが現役です。
ベッドに並んで腰掛けると、祖母の爪が伸びていました。
「伸びてるね。爪。切ろうか」
右利きなので右の爪だけ、私が切ります。静かな部屋にパチン、パチンと爪の音。強く、弾きかえすような張りのある音が静かな個室に響きます。厚みのある、爪です。
「100歳でも爪は伸びるのね」
「何でも食べるから。なんにも考えないから、爪に栄養が行くの」
ケロケロ笑います。
48歳で夫に先立たれ、子供三人を育てました。小学生の時に関東大震災、結婚してからの戦争、疎開、終戦後、夫の死。次男が離婚、その後、癌になり息子の看病をして看取るという辛い経験をしたのは70代。三男と同居するも、嫁と会わず、ホームに。
「私はついてたわ。いつも誰かが助けてくれて。いつも幸せ」
夫が死んでも、すぐ仕事があった。
高度成長期だったからお金に困らなかった。
辛いこと?・・・・忘れちゃった。
また笑う。
左の爪は自分で切ります。全部の爪を切り終わると今度は一つ一つ、丁寧にヤスリをかけ始めました。爪ヤスリをする100歳。100歳でも爪ヤスリ。
さっぱりしたね。祖母の手を取り、指を一本一本マッサージしました。意味はなく、つい、触って撫でたくなったのです。
「よく頑張った。この手で、生きた」
こんな台詞を言うのを初めて聞きました。そもそも、こんな風におとなしく孫に手を撫でられるような人ではないのです。
「この手で、働いて、お店に立って、頑張った」
そうだね。よく頑張ったね。
「あとは、もうお天道さまにお任せ」
毎日、笑って、面倒なこと考えないで、一人でじっとしてないで、人に会うこと。難しい本を一人でじーっと読んでばかりじゃダメ。動いて人に会いに行かないと。笑えない。
この人は時々、深いことを言う。
ただの、一人の女。でもただ、生ききっただけの100歳は美しい。
100歳で、自分の洗濯物をたたみ、一人でトイレに行き、一人で歩き、孫にその姿を見せる。
人は、やはり、ただ、生きているだけで、十分美しいのです。
「今日はご苦労様でした」
蹴り際、エレベータホールまで私たちを送り、バイバイと手を振る祖母を残し、ドアは閉まりました。
今日はおばあちゃんが泊まりに来てると、走って帰った小学生の頃。嬉しくて、一緒にお風呂に入って、ぬいぐるみを作ってもらって、お布団に潜り込んで昔話をしてもらった。当時の私にとってその人は「ただの母方のおばあちゃん」。大人になって社会に出て、結婚すると、かわいいおばあちゃん。自分で子供を産んでも、私は孫で、おばあちゃんはおばあちゃん。
この人を、いつしかこんなに尊敬するようになるとは、子供の頃の私は思ってもいませんでした。
人として。女として。生命体として。魂として。
畏怖の念。
あくまでも個人的考察 自分へのジャッジ
自分で自分を縛るものは幻
母の言葉を鵜呑みにした頃
曇りの日曜日の午後です。のんびり過ごしてもいいような気になる曇り空。太陽が出ている日は、気持ちが高揚して気分も明るくなりますが、そういう時に一日中家の中で過ごすと、何かとてもいけないことをしているような、うっすらとした罪悪感が私の背中を突っつくのです。
気がしているだけで、それほどいけないことではないのだと、今は分かっています。
ではなぜ、そういう気がするのか。それは、育ってくる時、重要な大人に言われた言葉が強く自分の信仰となって残っているからです。
「今日1日、何したの?みんな働いたわよ。」
「少しは生産性のあることしなさい」
「動かないなら本の一冊でも読んだらどうなの」
私の場合はそれが母でした。これが、言われたその当時に私の頭と心に瞬時に響けば、母も私も平和だったのですが、残念なことに届いたのが今頃。
本当は自由なのです。
ダラダラ過ごそうが、勉強をしようが、人と会わずに趣味に打ち込混んで引き篭ろうが、死ぬ時、本人が「あぁ面白かった」とくくれれば成功だと思います。
宗教も信仰する自由、そこへは踏み込まない自由。
迷って迷って苦しむことも、辛くともあっていい。
何にも深刻にならずに、毎日お気楽で生きられるのなら、それこそ誰もが求めていることなのです。その質を他人がとやかく言うのは、余計なお世話です。
今、いろんな情報があふれてあっぷあっぷしそうです。
1日10000歩は歩きましょう。肉食よりは草食。いや、肉はいいけど、炭水化物はダメ。自己主張の強いのはいけない。空気ばかり読んでる奴はつまらない。夫婦は共通の趣味を持ちましょう。いや、お互い好き勝手に過ごすことがうまくいくコツ。子供は小さいうちにいろんなことを習わせましょう。興味を示したものを親が伸ばすのが一番。献立は品数少なくともきちんと出汁をとった手の込んだものを。
食卓に楽しさを彩ることが大事、お惣菜が並んでも笑顔が並べばそれでいい。
・・・頭の悪い私は、あっちにウロウロ、こっちにウロウロ。
では、生真面目な私の母がいけなかったのでしょうか。
違います。確かに私の母はかなりの過干渉でしたが、そのような親は世の中に彼女だけではないはずです。そのメッセージを受け取る側の私がそれだけを唯一正しいものと頭に刷り込んだからだと思うのです。
この頃、私が例えば、友達のお母さんとかではなく、学校の先生でもなく、もっと多くの大人に出会って話をしていたら、いろんな考え方で生きている人間がたくさん存在するのだということを知ったことでしょう。小説でも漫画でも人の作った世界観に触れれば、自分だけのものの見方や好みが早く構築されたかもしれません。
選択肢はたくさんあったのです。道はたくさんあったのに、怖がって、目の前の大きな整備された道だけを無難に選び続けたから・・です。
では、私がいけなかったのでしょうか。
・・・ここです。少し前。ほんの二ヶ月ほど前までの私は、ここで、自分を責めていました。
こんなに自己評価低く、迷ってばかりの自分は未熟。誰のせいでもなく、自分の生きて来た道が他人軸だったから。こんな大人になっちゃった。
修正できないミスを人生のはじめでやらかしたような重い烙印を自分で自分に押していました。
それがこのところ、少しづつ、烙印の痕跡が薄くなっていくのを感じます。
ブログを始めて、実にたくさんの人の日常や考え方、興味を持っていること、はまっていることに触れるようになりました。
それは雑誌に載せるためにデコレーションされた女優や作家の日常ではなくて、昨日、今日とつながっている、普通の人の普通の声。
もちろん、それぞれが他者に見せることも意識しているので、少しは加工することもあるかもしれませんが、それでも人柄や思想のようなものは伝わります。
共感できるブログには親近感を持ちます。反発したくなる人のブログもあります。けれど、ずっとその人のものと読んでいくと「通じ合えないけど、こういう考えの人もたくさんいるんだ」と世界が広がります。「なんじゃこりゃ」とびっくりするようなことに一生懸命になっている人もいると嬉しくなります。
私のフィルターを外せば、どれがいいものとかありません。全て、ただ、一人の人が作っているブログでその価値は同じものなのです。
ある人にとってはかけがえのないものになるかもしれないし、ある人にとっては興味の湧かないものかもしれません。
読者さんが多いから私が好きかといえば、違うし。個人的には生活感が出ているものが好きですけれど、情報を求める人もいるでしょう。
どこに、何に、自分がスポットを当てるか
こんなに簡単なところに行き着くのにどんだけかかったのでしょう。
・・気づいてよかった。
野菜を食べ続ければ、ある日、猛然と肉を欲するかもしれない。
肉を若い頃たくさん食べていたら、ある時期から「飯、味噌汁、漬物」が食べたくなるかもしれない。
細胞だって一人一人違うんです。
そしてその細胞ですら、日々、壊れ、日々、再生しているのです。
どうして、必要とするものに定番があると思ったのでしょう。
環境も、人間関係も、経済も全部動いていくのに。
そして、何を信じるかこそ、自由なのに。
ブレブレの私がうっすらとわかってきたこと。
自分で自分を追いやって苦しく生きてきましたが、ブログを始めてよかった。
いろんな人がいる。
いろんな泣き笑いがあって、苦しみがある。
そして、どっかにもしかしたら、こんなダメダメで未だに大人になりきれていない私のブログを読んで、気が抜けたり、安心したり、こうはなるまいって考えたりする誰かがいるかもしれない。
全てはつながって展開していく。
それを知ると勇気と元気が湧く。
みなさん、私に力をありがとう。
・・・なんだか青年の主張のようになってしまった・・。
父を想う
ママ友という言葉ではちょっと違う気がする友人がいます。
お友達です。
今日はその彼女の末娘の高校受験の合格発表の日でした。
「どっちにしてもラインで連絡するね」
そう言って別れたのが一昨年。
「仕切り直しです」ごめんと謝るカンガルーのスタンプが一緒に貼られ、先程連絡がきました。
「なんで謝るんだよ。全ては良い結果につながっていくんだぜ!」
本心です。全ては良い方向に行く途中の出来事。です。
ごめん。ダメだった。
このセリフを何度私は親に言ってきたことでしょう。その度に母はため息をつき、「本当になんであなたは。何やっても一発でうまくやらない子ね」と言いました。
そうなんだ。私は何をやってもダメ。何を着せても垢抜けない。お姉さんは本が好きだから興味を持つものも質が高いし、視野が広い。
くだらないことにばかり興味を持つ。
どんどん私の引き出しは私はどんな風にダメなのかを語れるだけの材料がたまっていくのでした。
「お前は本当に面白い奴だなぁ」
そんな私の馬鹿さ加減を面白がってくれたのが亡き父でした。いつも家ではジャズを聴きながら一人で難しい本を読むその人は、私がやらかせばやらかすほど、喜び笑うのでした。
この言葉で私は救われ
「そう、私はダメな子だけど、面白いの」
とケロケロして入られたのです。
「ごめん、ダメだった」
最後に父にそう告げたのは、初めての子供を流産した時でした。
結婚3年目に授かった命でしたが、ある日心臓が止まっていました。
「だからあれほど体を大事にしなさいって言ったじゃない。お母さん、いいのかなって思ってたもの」
母の言葉はまっすぐ突き刺さりました。私が殺した。そう言われているようで返す言葉もありませんでした。
「お父さん。ごめんなさい」
いつものようにジャズを聴いて本を広げている父のところに報告に行くと
「ま、なんでも初めからうまくはいかないさ」
とだけ言われました。
それから息子を授かるのに2年かかり、父は息子が2歳半になった秋、病気で亡くなりました。結果的にはギリギリ間に合ったわけですが、その当時の私は、自分の心の傷より闘病中の父に孫への期待を抱かせておきながら大きく裏切ったことへの申し訳なさの方が強かったのを覚えています。
今、私は彼女の心を思うと胸が苦しくなります。
娘の心を思い、これからのことを思い、痛みをこらえて母として平常を振舞っていることでしょう。
謝らないで。大丈夫。元気出せ。元気出せ。あやなるな。あなたは大丈夫?
そしてやっとあの時の父の心がわかったような気になったのです。
同じような想いでああ言ったのかもしれない。
「ま、なんでも初めからうまくはいかないさ」
この一言にすべてが詰まっていたのかもしれません。
力を抜け。人の心配ばかりするな。みんなに甘えてゆっくり休め。
お父さんに会いたいなぁ。