お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

未確認生物の生体

人と自分を比べるのをやめるというのは、思っていた以上に難しい。癖になっている。

私は母親のジャッジに合わせて生きてきた。姉や友人と比べられたり、先生がこんな態度をみたら幻滅するわよとか、お父さんがどう思うとか、漠然としたその時その時思いつく、彼女の尺度に。

世間は広いし、立派な人はたくさんいる。テレビの中の人までその対象になるのだから、私がその中で一等をとって、「それでいいのよ」と言われることは、永遠にない。どうして、こんな馬鹿らしい仕組みに気がつかなかったのか。そこが、まぁ私らしいっちゃぁ私らしいんだけれども。頭が良かったら、もっと早く、吠えていた。

今、この文章を書いている私は、ずいぶん、殻を破りはじめている。

こんなこと書いたら、バカと思われるか、バカがバレるか。

中身のない自分を取り繕うことは、ここではやめよう。そう決めて始めたのがこのブログだ。

バカ丸出し。そう決めた。

それでもずっと続けているうちに、コメントをいただいたり、時には褒めてもらったり、同意していただいたりすると、嬉しいと同時に、この貴重な方々をどうにか引き止めておきたいと言うセコイ私が現れる。無心で書いていたものが用心深くなりそうになる。そして、その度に自分に言う。ここでそれをやったら、また同じことの繰り返し。いつまでたっても私になれない。

昨日、なんにも1日、有意義なことをしなかった自分にしょげた。でも、どうしてだろう。私は本来だらだらゴロゴロが大好きなのに。家で倒れて緊急入院した時に、「あぁここでは寝てもいいんだ。そうしてないといけないとこなんだ」と朝からテレビをみて一日中、ベッドの上にいても、まったく苦痛じゃなかった。

家事、散歩くらいはこなせるまでになった。そうすると、自分より活躍している人達と自分を比べる。みんな、1日にいろんなことしてる。

欲が。私もみんなみたいにやりたい。。。。みんなみたいに。むくむくとまた、出てくるのだ。

退治した水虫みたい。

病院で、ベッドと、数冊の本、パソコン、テレビがある部屋で、検査の数値に一喜一憂していた私は、そんな気力もおこがましさもなく、ただ、息子のお弁当を作っていってらっしゃいと送り出したい。それが望みだった。自分に必要なものが少なかった。

昨日のことからずいぶん話を広げちゃったけれど、いつか有森さんがランナーの心構えとして、ラジオでいっていたこと、思い出した。

「人を見ないでください。自分だけを見てください。」

自分だけを見たら。何も不都合はない。

平均寿命、平均収入、子供が何人、平均貯蓄、平均的な・・・。その平均って何。平均と普通って知ってどうするの。

この春、東京の目黒区で発見された、未確認生物、私。その生体はどこにも比べる対象はないのだ。

・・・・というわけで、今日は自信を持ってだらっと過ごしているのでした。