お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

最強の私へ

昨日は定期検診の日。最近は体調も落ち着いてきたこと。毎日公園2キロを散歩する体力がついてきたこと。睡眠薬を使わないでも6時間は自力で眠れるようになってきたこと。母に認められようという発想が消えたこと。を話す。

「それはよかった。どうしても他者に承認を求めてしまうんです。日本は・・・島国の特徴ですかね。自分が自分を承認してあげればそれでいいんです。それがわかると、生きるのがもっと楽になってきますよ」

自分で自分を承認していれば、それでいい。

なるほど。私のアレもやらなきゃこれもやらなきゃっていうのも、いい娘でいないとというのも、他者欲求に応え続けていたのか。

 

途中まで・・・と言ってもつい最近、息子の反抗期あたりまでは彼女の価値観を盲信していた。頼っていた。子育てにしても家庭の切りもりにしても、不安になるとすぐなんでも聞いて彼女の会話の中から答えを出して決断してきた。

自分では、母を信頼して決めるということが、自分の価値基準だと思っていたし、そういう自分をむしろ、大人だと確信してきた。

母は高校で父親に死なれ、そこから家庭に入り、二人の弟の世話をしながら家事をして、就職し、私の父と出会って結婚。その後もきつい性格の姑にいじめられながらもじっと耐えてやってきた苦労人である。姉は姉で小学校の時にいじめにあうという試練も経験している。そして秀才。中学は超難関の御三家と言われる女子校にすんなり合格した。

お笑い番組と漫画と缶蹴りが好きで、たまに勉強すれば熱出して、手先も不器用ななんの取り柄もない手のかかるあなたは、みんなの言うこと聞いてりゃいいのと言われるたんびに「へへへへ」と笑いながら、どっかで「私のこともすごいねって言って欲しい」と思っていたのですねぇ。

ここで、馬鹿でもかわいいよ。しょうがない子だねぇって付け加えて欲しかった。

これまでも母と討論することもあったけれど、結局は姉と母と二人で、「お前は間違っている、世間を知らないからものの見方が甘い」と言われると、自信をなくして、くすぶっていた。

もう、もう、そんなのどうでもいいとなったら!

この輪っかの外れた開放感、爽快感。あの二人の及第点をいらないってことにしたら!

誰に認められなくてもいいってすごく楽。私が私をこれでいいと自信を持てていれば揺らぐわけもない。

「母からの評価を捨てることができると、毎日、あれ、私ってもしかしたら、本当はものすごく自由なんじゃない?って思うようになって、息が楽になってきました。」

それがもう少し定着してくると、ママ友からランチのお誘いがあって、気分が乗らない時に「ごめんなさいねぇ、その日は都合が悪くてぇ」ってにっこり笑って何の罪悪感も持たずに言えるようになりますよ。

逃げてもいいってこういうことか。そんなのありなんだ。ありなの?それ、ありなんですかっ。

楽だ。呼吸が楽。なんでもありなんて。そんなのまでありなんて。

そっからつながると、これまでうじうじと、こんなことばっかブログでブツブツ書いてる私ってくらい・・・読む方も嫌になるよね・・とか、そういうのも消えちゃう。

私が好きなように好きなことを書く。面白かったことを面白かったのと書き、頭にきたことをムカついたと書く。ちょっと見つけたいい言葉を残したくなったらそれも書く。

はぁ。なんて楽しいところなの、この世は。やりたいことなんでもやっていいんだよ。やりたくなことは逃げちゃっていいんだよ。本当に。

死ななくてよかった。

死んで孤独になるより、この世の中で個として在る。それを選ぶ。

きっと時々日常に紛れて忘れることもあると思う大事なこと。

時々、ちゃんと確認しよう。

私は私。どんな状態でも、形態でも、未熟でも。それが完全だとしていい。いつでも今のまんまが完全な形なんだよ。それが正しい。それが楽しい。それが美しい。