お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

念じる

朝、友人からラインが入った。

「いよいよ始まったよぉ。2度目のセンター試験。とりあえず、私は平静を装って送り出したけど、不安だ!」

お嬢さんが浪人して彼女は半年、引きこもった。鬱になってしまったのだ。

大学まで続く有名進学校の優等生だった娘さんに野心を持たせ、外部受験を勧めたのは彼女だった。その話を聞いたとき「そうか、出来のいい子を持つと、そういう発想が生まれるのか」とびっくりした。

ここで頑張ればもっと上にいけるよ。あなたならできる。

多分、彼女はそうやって我が子の力を引き出して伸ばしてきたのだろう。

私は、それを批判するつもりは全くない。どちらかというと、偉いと思う。

子供に向き合い、その子の力を最大限に伸ばしてあげるというのは、本当に気力も体力も消耗する。私はそれがめんどくさくてやらなかっただけだ。

「生きて心も体も健やかでいてくれればいいから。人としての魅力を持った人間であってくれ」

綺麗事でなく本気でそう伝えてきたのも、勉強に関しては自分でやってねという裏メッセージだ。

気の毒に息子は成績優秀でもなんでもなく、あちこちにぶつかりながら、自分の道を模索するしかない。私にあれこれ相談めいて話すときもあるが、基本私はあてにならないと諦めている。

彼女に話を戻す。ピンと張りつめた現役時代の受験は全敗ではなかった。滑り止めに受けて合格した大学もある。そしてその大学だって我が家からしてみれば

「すごいのにね。我々なら迷わず行っちゃうよね」

という名門だった。彼女もがっかりはしたが、そのつもりだった。

しかし、ここでもう一度チャンスをくれと泣いたのが、今日、頑張っている娘さん本人なのだ。

浪人する、しないで、家族会議を何度も繰り返し、今日を迎えた。

期待していた娘がまさかの浪人生になってしまったと彼女は鬱になったが、私はある意味ではこれはこれでよかったのではないかと思っている。

お母さんが、引きこもりになって気力も娘への関心も弱くなった中での一年間。

娘さんはどれほど、孤独と向き合いながら自分と戦ってきたことだろう。

あのまま、消化不良のまま、滑り止めの有名校に通ったところで幸せになっていたのは友人だけだったことだろう。

今回、どんな結果が出ようとも、娘さんは納得のいく人生のページを自分だけで綴った満足感は後々、残る。

それでも祈らずにはいられない。

みんな、みんな、幸せになれ。

 

錨を降ろして

よせばいいのに、昨日、ブーツを履いて母の買った荷物を持って歩いたからと思うが、今朝起きたら、足の裏っかわ、が筋肉痛だった。とにかく怠い。熱い。

7度5分だった。

買い物にスニーカーで出て、足の運びがとても楽なことで、ブーツがいけなかったと気がついた。

午前中のうちに掃除と洗濯と買い物をすませ、午後は寝室で一人、深く、潜る。

本もパソコンもテレビも受け付けない。ラジオを音を小さくつけて、IKEAの椅子に腰掛け足を投げ出し、目をつぶっていた。

日の当たる二階の部屋はぽかぽかと気持ちがいい。

さぁ。怠けるぞ。堂々と怠けるぞ。

そう思うとほくほくする。

意識が夢と妄想と今を行ったり来たり。ラジオの声が途切れ途切れに、何か言っている。

何時間そうしていたのか、気がつくと部屋は真っ暗になり、気温も下がっていた。

何も考えず、何も感じず、ひたすら自分の意識の奥底に潜った。

錨をおろし、自分という船を自分という港に寄せて、ゆっくり休めた気分だ。

今の私には錨がある。

以前はオールのない、筏だった。風が吹けばそっちに流れ、嵐がくれば、ひっくり返り方向を失って海に投げ出されてアップアップしていた。沈没もした。

自分の錨。

自分から遠く離れたところに流されていかないように、時々こうして港に帰ろう。

どこにもいかず、誰にも会わず、何もしなかったのに、遠くに旅をしてきたような午後だった。