お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

ぐるり回っての今やっぱり専業主婦が好き

掃除機がきた。

今、たくさんの段ボールから引っ張り出し、繋げて壁にぶら下がって充電されている。

早く掃除がしたくてたまらない。もしかしたら、24年の主婦生活の中で今日が一番かもしれない。こんなに掃除がしたいのは。

掃除機でウキウキする自分に思い出した。

専業主婦になるのが夢だった。小学生の時から。末っ子で体も弱く、みそっかすだった私は、大きくなったら、自分が家の女主人となって家族を守るんだと決めていた。ご飯を作ってやったり、洗濯や掃除や、毎日外に出ては疲れてくる人たちの受け皿になって元気にさせてやる。家族が出かけると、一人の時間に本を読んだり、テレビを見たり散歩をしたりするんだ。時々近所のお友達が来て、午後のお茶をしたり。

それは具体的に想像していた。

結婚するときも、夫が家にいて欲しいと言った時は「気が合う」と思った。

ところが、子供ができない。そのうちに父のガンが再発した。自分の思っていない人生の展開におかしい、思ってたのと違う、思ってたストーリ展開はこうじゃなかったなと思いつつも、どっかで軌道修正があるんだろうと、それでものんびり構えていた。

結婚3年目、流産した。このへんで自分を疑い始める。あれ、もしかして私の人生、子供のいない夫婦って設定だったっけ。

自分の決めて来た人生は、どこか生まれる前から決めていたと、強く確信していたので迷いも、人と比べることも全くなかった。けれど疑いだした頃いろんなことがずれ始めていった。

父が亡くなったこともそうだ。父親っこの私は、私のお父さんだけは死なないと本気で思っていたのに、死んでしまった。

神様とか、見えない力とか、そんなのないじゃん。私も、特別な人じゃなくて、ただの一人の人じゃん。

それまで、いつも一人でいても、見えない誰かが私を見てる。守ってくれていると思っていた。それも馬鹿らしく思えた。

いろんなことに投げやりになった。

朝起きてすぐ玄関のタタキを雑巾で拭くのもやめた。

人と自分を比べては恥ずかしくないように頑張り始めた。

専業主婦でいることにも、劣等感を感じるようになった。

もっと充実した人生を恥ずかしくない生き方を。

あの、「私は特別」と自分で自分のことをどこか呑気に構えている陽気さはすっかり消えて、いつもビクビクするようになっていった。

これでいいのか

これでいいのか。

 

それから、体を壊し、死にかけ、戻ってきた。

その後も苦しみの中でしかもう、生きていけない自分の人生はただ、息をしているだけだったように思う。楽しいこともなく、怒りの感情もなく。義務と評価にだけ反応していた。

 

それから5年。

私はブログを書いている。どうせ誰も私をわかってくれない。家族に言えない自分の思いを吐き出そうくらいのつもりで始めたこのブログ。

だから深く人と関わらないようにと最初は自分の書きたいことだけ書いてすぐパソコンを閉じていた。

優しいコメント。理解するという肯定するコメント。些細な話のつもりが面白いといってくれるコメント。

そこには私を包んでくれる人々がいた。

ふわりと見えないところからやって来て、そっとボタンを押して、読んだよ、そうなんだねと残してくれる。悩んだ時は「私もそういうことあったけど大丈夫」と励ましてくれる。「お疲れさん」と言ってくれる。

これが私をどれほど支えてくれただろう。

あぁ、こういうこと思ってもいいんだ。こんなこと書いてもいいんだ。

全て丸ごと受け止めてくれる宇宙そのものかもしれない。

 

気がつくと、誰かに認められるでもなく

何になろうでもなく

単純に生きていればいいんじゃないの?もしかして。とじわりじわりと思い始めている。

 

そうやって毎日を送っていると掃除機が嬉しい私がひょっこり顔を出す。

ドトールで本を読むのが好きな私。

どうでもいいことをダラダラ書くのが好きな私。

目的意識のない私。

家族と暮らすのが落ち着く私。

母も姉も夫も息子も愛おしい。

 

今、1時45分。充電完了には五時間かかる。夕方4時には満タンだ。

その頃息子が帰ってくる。

見せびらかしながらの初運転が楽しみでたまらない。

私という人を私は掴めない

明日アマゾンから掃除機と一緒に本が一冊届くので今日のうちに読みかけの本を読んでしまおうと思っていたのに、二章ほど読んだら睡魔に勝てず眠ってしまった。

あの、本を読んでいるところからの、観念して目を閉じるとき、全ての幸せが集まってくる感じが好き。

許しちゃおう。眠りに落ちてしまおう。

午後の二階の部屋は、今日は立冬だというのに、窓を開けていても気持ちいい。ちょっと和らいだ陽射しと、下校途中の隣の坊やの声。バイクの音。

動いている社会の中での自堕落な自分。

 

私が悩んでいた頃夫がよく、「トンさんらしくいればいいんだよ」と言っていた。その当時は私らしさ、それこそを探し回っていたので、聞こえのいいことしか言わないと、腹を立てた。

この頃、自分らしさもどういう人であろうとかも、追い求める欲がだいぶ減った。もうどうでもいいやというか、もうわからないというか。

疲れたというか。

そうやって毎日を送りはじめた。

散歩をして、日向ぼっこして。本読んで昼寝して。息子が家にいるときは望まれているわけでもないけど家にいてご飯を一緒に食べてテレビ観て。

読みかけの本がいつも3冊くらいあって。

友達を励まして。自分は元気だと言い張って。

母に腹を立て、可愛く思い、あやしたり付き合ったり、逃げたり寄ったり。

遠く離れた夫とラインでしゃべったり、面倒で連絡しなかったり。

流行の服を買うことに興味はなく。息子のお下がりのスウェットを寝巻きにする。

インターネットで行きたい場所観たい映画を見つけて、想像して、行った気になって満足し、隣町のスーパーまで足を伸ばして「今日はお出かけをした」と充実感を味わう。

公園で写真を撮ったり、ベンチに座ってぼうっとしたり、ドトールでお菓子とコーヒーで本を読んだり。

小さいところで生息するのが好きなようだ。

 

世界が小さいのに、いつも宇宙の中をだだよっている生物の気分でいる呑気な生き物。

 

こりゃ変だわなぁ。

母が物足りなくて、あれこれちょっかい出してくるのもわかる気もする。

 

この私という生物の特徴はこのままではないような気もする。

毎日毎日小さなマイナーチェンジを繰り返しているような気がするのだ。

この頃、息子といるとき限定だが、私は踊る。おどけて踊る。

ダジャレも言う。

夫がやるとシラーっと眺めていたことを、やっている。

どこかにネジを落としてきたのかなぁ。

 

今、密かに企んでいるのは、カラオケに行ってみたいことです。半径1キロ以内にあるのでいつか、こっそりやってみようと思うのです。

変わってきたなぁ、私。

これに決めた

この一週間、研究に研究を重ねて、今、掃除機を買いました。アマゾンで。

ダイソン、シャープ、東芝と長所短所を見比べているうちに、どれがどれだったかわからなくなってしまいます。

同じ会社のものでも機種が一つづつ前後しているだけで吸引力やゴミ捨てのやり方、重さ、大きく変わるので、慎重になります。

昨日、病院の検診でした。5年目。異常なし。よっしゃ。

これはめでたい。祝いましょう。

掃除機が壊れて、一万円代のコードレスを使っていたのですが、やはり「採れた!」という実感があまりない。表面上は採れているような・・・でもぼんやり綿埃がくっついているような。夫が赴任先に新しい掃除機を買って持っていっているので夫の帰宅とともにそれが来るのを待つつもりでいたのですが、やはり、日々のこと、2年は無理があった。

「うちのダイソン使いなさぁい。買うことないわよ」

と母に言われ、ここ最近、「お借りします」と頭を下げ、いちいち実家に借りにいっていたのですが、それも面倒。何より、母に捕まる(笑)。

欲しいなぁと思っていたのです。

 

条件は無精者なので、第一にコードレス。次に軽いこと。手入れが楽なこと。値段は5万円まで。

こうやって探し始めると、テレビの通販でやっている掃除機までも「これか?これかもしれない」と急に目につきます。

今朝は夢見心地で聞いていたラジオの通販でもダイソンのコードレスクリーナーを格安で販売していました。うつらうつらしながら「神の御告げかもしれない」とバカなことを考えてしまいました。

念のため、神のお告げかもしれない商品も検討し、もう一度、アマゾン、各メーカーのホームページ、使用者のブログ、色々総ざらいしました。学生時代、テスト当日の朝だってここまでの総復習はしなかったのに、人は必要な時は頑張るものです。

 

総ざらい点検を始めて約三時間、目の奥が痛くなってくるまで調べ抜いて、長所だけでなく短所も比較検討納得した上で、今、決めて注文しました。

興奮状態です。

本当は店頭に行って実際に触ってから買いたい。しかし私は極力人混みは避けるようお達しが出ておりますので、それはできないので、こうしてとことんしつこく調べる毎日でした。

ふふふ。楽しみ。楽しみ。

カシミアのセーターより、イヤリングより、欲しかったものが明日届くのです。