ひどすぎる、私に動揺する
ゴールデンウィークが始まった。
今朝、夫が予定より一日早く、明日帰ってくると弾んだ声で
電話をしてきた。
「え?なんで?」
「せっかくだからみんなと一緒に過ごす時間を長くしようと思って」
なんということでしょう。一瞬、めんどくさいと思った。
なんということでしょう!1ヶ月も経ってないというのに。
散歩をしていても、掃除をしていても、動揺は続く。
もともと兄妹夫婦みたいなものなので、ときめくってことはないとは思っていたけれど、めんどくさいとは何事か。そんな自分にがっかりした。
何がめんどくさいのだろう。何が嫌なんだろう。
別に気を使って言いたいことが言えない人でもないのに。
食事・・・。
息子と二人暮らしの今は、食べ盛りの青年の胃袋を満たす食事を作ればいい。献立もあまり迷わない。どんと肉類、そこに、ジャガイモ、野菜の入った汁物。それでいい。
私は食事制限があるので別メニューだが、最近は自分の食べるものは作り置きしておいて、夕飯時、息子の分だけお肉を焼くというリズムで回っていた。
夫がいた時はどうだったろう。
そうだ。二人とも好みが違うのと、夫はおじさんだから、もっと野菜と魚を食べさせたいのとで、ちょっとずつ副菜を変えたりしてたんだ。
喜ばせたい。久しぶりに帰ってきて、家の味を食べて、寛がせてあげたい。
でも私ものんびりしたい。
そうか、食事が面倒なんだ。夫じゃなくて。
では、食事の問題を片付けよう。
絶対私もダラダラ過ごすんだ!
こういう時間が好き
朝、公園を散歩する。
日曜日午前の公園にきている人は活動的な人のトップだと思う。
朝8時の時点で、きっちりお化粧して、ラケットやヨガマットを持っている人、ランニングしている人。
その中をポッテリポッテリ歩く。
私が朝、散歩するのは、その日一日、だらっと過ごしても心がもやもやしてこないための予備のようなもので、鍛えるためではないのです。
じい様婆さま達に二周くらい追い越されながら、たらたらのんびり、だいたい1時間歩く。帰って洗濯物を干したら、さぁて、ゆっくりするぞ。
コーヒーとクッキーを持って窓を開け、ラジオをつける。TBSにして、10時からの「安住紳一郎の日曜天国」が始まるのをワクワクしながら待つ。
聞きながら、庭に足を投げ出した。あったかい。日向ぼっこをしながら、寝っ転がってみる。足は地面に上半身は部屋の中。背中が反り返って伸びをして、気持ちがいい。顔の上を風が撫でていく。これこれこれ。風と日光と土と芝の匂い。安住さんとリスナーの面白い話を聞きながら目を閉じる。
あぁ。やっぱり私はこういう時が好き。
今日はもう歩いたからいいの。あとは一日、気ままにしよう。
朝寝坊の息子でよかったなぁ。
気負っていた恐れていた
努力なんかしなくてもいい。幸せな気分は簡単になれる。
それは、本当。私は、絶対安静の日々でも、1日の中に些細なことに心が暖かくなることを知った。それはお風呂だったり、入院食の献立だったり。窓からの風だったり。そんなことで、いい気持ちに人はなる。そのいい気分は激しくはないけれど、深く心の中にしみる。深い深いところにじんわりと入ってくる幸福感なのだ。
なのに、どうしても、何かしよう何か有意義な日にしないと、と思う癖が頭から抜けてない。
幸せな日にしたいから有意義な日にしようとしているのではないということか。
ちゃんとしているか。ちゃんとしていたか。その「ちゃんと」の基準が自分の中にあって、それを「ちゃんと」したか、にこだわるのだ。
その「ちゃんと」ってなんだろう。なんのためにそこにしがみつくんだろう。
これは仮説だけれど。勘違いをしていたのかもしれない。
育ってくるときに行動的な姉や友人の過ごし方を母が褒めた。それに比べていつも放っておけば家に居る私を見ていると歯がゆかった。「あなたももっとちゃんとしなさい」いつもそう言われたことが染み付いているのかもしれない。
バイトをするという発想もなく、毎日大学と家と往復するだけで満足している末娘は母からすると青春を謳歌できていないダメな子という認識だった。なんにも生産的なことをしない。「あなたもちょっとは本を読むとか、勉強するとか、しなさいよ。いつもぼーっとして」
私と姉は違う。好みも、好奇心のアンテナも。全てにおいて正反対だ。
でも私は、姉に憧れていた。お姉さんみたいに、「ちゃんと」したい。「ちゃんと」ができるようになったらもっと、毎日がバラ色に輝くんだろうなぁ。
そんなことをいっつも屋上の階段のてっぺんに座ってぼーっと空を眺めながら思っていた。そこでも風に吹かれて、幸せな気分だったのに、この幸せは努力してないから違う。頑張ればもっと本当の幸せが私を待っていて、そこからが本当の大人としての生活なんだと思っていた。
「ちゃんと」は怪しい。
今日の私はどう?また1日がなんとなく終わっていく。いいの?いいの?
私は、空っぽ。
いいの。大丈夫。
ぼんやり過ぎた1日も、誰とも話さなかった一日も、一度も笑えなかった日も、トゲトゲした日も、ちゃんと、心が緩む瞬間は必ずあるから。
ほやん・・っと緩むあの瞬間。
その一瞬をキャッチするために、私は寝て、起きているのかもしれない。