お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

勇気をもって飛び込む

私はずっと認められたくて頑張ってきました。

手早く、パパッと 役に立つ、気の利いたことのできる人に憧れて、努力してきました。

辛かったです。

母に認められたかったのです。母に役立たずと言われるのが辛かった。「私がやる」「あなたじゃ無理」「私がいるじゃん」「あなたは居ても当てにならない」ダメな子と私を称するのは、母の愛情が含まれた言葉だったと今では思います。けれど、未熟な私はそんなことより、わかりやすく、褒められたかった。

病気になるまで、誰にも助けを求めず、もっともっと、もっと頑張らないとと自分を追い込みました。昼寝も家事の手抜きも愚痴も自分に許さず、清く正しく、なおかつ、家族の役に立つ女性を必死で追い求めました。

そして、破綻して入院して、母に呆れられました。

死にたくなりました。

役に立つどころか。厄介な荷物となってしまったわけです。

息子に、親が死ぬかもという恐怖を味あわせるなんて、母親失格です。自分の意地から、招いたことなのですから、すべての原因は私です。母である前に、自我が強かったのですから、一人前なんて、ちゃんちゃら可笑しい。愚か者である自分が露呈して、消えてしまいたかった。でも、ここで本当に逃げて死んだら、もう息子に詫びることすらできません。死んだつもりで生きよう。死んだ私なら、どう評価されようと、いないのだから、もう、関係ないのです。

 

それでも葛藤は続きました。

前にも増して何もできなくなった自分。おまけに壊れた精神状態。もしかすると、ここにいること自体、歓迎されてないのではないだろうか。もし、そうなら、恥ずかしい。言われる前に消えた方がいいのかもしれない。

今日消えることもできるけど、万が一、万が一、息子が私の存在を存在するだけで意味があると思っているとしたら、そうだとしたら、今度こそ取り返しがつかない。

よく考えて明日にしよう。

もう1日、生きておこう。

 

そんなふうにして投げやりな数年間が過ぎました。

その途中、息子の大きな反抗期がありました。

私の場合、息子の反抗は激しければ激しいほど、生きる意欲になりました。私に遠慮せず、ぶつかってくる。そのことが自分の存在する意味につながりました。荒れ狂う感情を吐き出す相手に私を選んだ。嬉しかった。

丸ごと、彼の存在ごと肯定するんだと、覚悟が決まり、腹をくくれたのは、自分が求めていたものを与えてやりたかったからです。

もう、それだけでいい。私の生まれてきた意味なんて、どうでもいい。ただ、息子にとって、彼を全肯定する存在であること。それだけのために生きる。それでいいや。

そのあたりから不思議と、あれほど求めてきた母からの評価がだんだんどうでもいいものになりました。

それでも、自分を嫌いにならないよう、頑張る私は続きます。

ダメな自分をまだ許さない。

ちゃんとしよう。ちゃんとしよう。私はもともと、怠け者なのだから。本当はダラダラすることが好きなんだから。

テキパキしよう。

 

張り詰めて張り詰めて、しんどくなって精神科にも通いました。精神科に通わないと普通の主婦もできない自分にさらに落ち込みます。

退院して、5年経った去年も、まだ苦しかった。

去年の夏、台風が来た時のことです。

明日、精神科のカウンセリングの日という晩でした。外は豪雨。明日の予報も大荒れでした。交通網の乱れのために早く家を出ることや、翌日の夕飯の下ごしらえをして出ることなど、外出する準備、思いを巡らすうちに次第に面倒になってきました。

「明日、キャンセルしちゃおうかなぁ。。。」

「いいんじゃない」

そばにいた息子がすっと言いました。

「やめよ」

決意が揺らぐ前にと、すぐ電話しました。

カウンセリングでバランスをとりながらなんとか生活していた私にとってこれは恐怖でもありました。

一ヶ月経ちました。なんとか生活してます。また一ヶ月。あれ、意外と大丈夫。薬も切れて飲んでいないのに、なんとかやれてる。じゃぁもう一ヶ月。

そうやって私は精神科から今も、離れています。

いつでもまた、辛くなったら行っていい。そう思っています。

そうは言っても、これまでカウンセラーさんに整理してもらっていた気持ちを自分一人で処理しつつ暮らすことは私にとって苦しい時もありました。年末年始、親族が集まる時期、身体の方を診てくれている先生に「逃げてもいいんです」と言ってもらえたことにどれだけ、救われたことか。

 

逃げてもいいんだけど、ちょっと、やってみる。

いつでも逃げてもいいんだと思うと、やれる。

今度はそういうった日々です。

逃げてもいいけど、頑張る。

なぜ。自分に失望するのが怖くて。

 

そう。結局、最後のところは私がだらしない私を許していない。

認めていないのです。

皮を剥いで剥いで剥いで、出てきた答えはこれなんだ。

 

・・・ということは。

ここからは仮説です。

もしかしたらよ。もしかしたら、私が私自身がどんなに変わっていってもその時、その時の私を全面肯定してあげる人になれれば、私はもっと強く、もっと・・・もっと楽しく生きることができるのかもしれない・・。

 

人生、修行は充分やった。後半はこの仮説が正しいのではないかという考えのもと、もう一つ、踏み込んでみよう。

実験とレポートをしながら。探っていきたい。

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三笠書房 心屋仁之助のそれもすべて、神さまのはからい 44頁

未来が始まる

昨日買った本の話です。

サンマーク出版 川口俊和著 「コーヒーが冷めないうちに」

 

過去に戻れる喫茶店があるのです。4つの短い話が入っているのですが、まだ一つ目しか読んでいません。

設定は、過去に戻っても、現在を変えることはできない決まりです。あの日、あの時、あの場面でああしていたら、こう言っていたらという未練や後悔を昇華することはできても、現状はそのままという約束で時間を戻ります。

第1話では、主人公は最初、その理不尽さに憤慨しますが結局それでも旅をします。

するべきだった会話をしに。戻ってきた現在に変化はありません。ですが、未来が変わるのです。未来が変わる。予想外でした。

 

未来から見れば今が過去です。

今、伝えたい思いを伝えるか、飲み込むか。それで未来の展開が変わっていく。

過去から見れば今は未来。

戻ることはできないけれど、過去の記憶の中の自分に会いに行ってその時、辛くて言えなかった言葉を思い出してみます。

あの時、笑っていたけど、傷ついているんだと言ったとしたらあの人はどう返しただろう。

そこで思うのです。きっとこう言ったろうというのは私の発想で想像。私一人の頭の中で完結してるわけです。実際に言ってないのですから、それは妄想です。

ちゃんと向き合わないで自分の頭の中で自分の理屈で被害者になって記憶を閉じてきたんだ。

あの時、ああいうふうに、言われた言葉の意味を捉えたけれど、その真意はそうじゃなかったかもしれない。意味すらなかったかもしれない。意味はあっていたとしても、とり合わなくていいことだったのかもしれない。私の情報処理能力がエラーをしていた。

当時のままになっている脳みその中の記憶処理データをもう一度更新します。

今思うと、あの人も人生の途中で、辛い時期だった。余裕がない時期に強い言葉を使うことは私だって覚えがある。

ただ、そのその時、その現象が起きただけ。彼女が私に言った。私が聞いた。幼かった自分がその物事に色付けをして脳に送っただけ。

それだけのこと。

 

相性というのは、その人の中にあるあったかいものを引き出しやすい人か、そうでない人かということなのかもしれない。

 

私の未来が輝きだしたとまではいかないけれど、開かれていく。