お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

覚悟を持って能天気で生きる

三月のライオンを観てきた。

漫画を読んでいる時に私の頭の中で描いていた世界がそのまま実写になっていることが嬉しかった。図々しくも、私のためだけに作ってくれたようにすら感じながら引き込まれていく。

この作品は主人公の少年も、彼を取り巻く将棋の旗手も、和菓子屋さんの家族も、彼を育てた家族も、登場する人々が皆、心に傷を持っていたり、闇を抱えて生きている。苦悩しつつも、歯を食いしばり、もがき、ただ、必死に生きる。闇が大きければ大きいほど、美しく見える。純粋に見えてくる。

これは私の主観で、考え方の癖なのだ。

何の悩みもなく、能天気に明るい人間と、何かと葛藤しながら健気に生きている人間がいるとしたら、後者の方が上等で質の高い人生だと思ってしまう癖が私にはあった。

だから、自分も一度、傷を負った時、それをとことん、見つめ、苦しみ、痛めつけ、悩んで、私は生きているのだと、どこかで苦悩する自分に酔っていたのではないだろうか。

母のせいでも、体が弱いせいでも、なんでもない。

要は、被害者としての自分にクローズアップして、そこをネタにいつまでも、しゃぶるように悶々としていたのではなかろうか。

映画を見ていると、胸が苦しくなった。息が詰まりそうになったのは、誰もが必死だから。でも彼らは、自分がどう生きたいとか、かわいそうなのか、誰のせいなのか、どこに原因があるのかと、じっとして悩んでいるのではない。苦しいけれど、進む。終わりがどこか、どうすれば楽になるのかと憔悴するのではない。

多分、逃れたいと思っているのではなく、これしかない、苦しいけれども、これしかないのだと傷だらけになっても、また立ち上がるのかもしれない。

保身のない苦悩だから純粋に美しく見えたのか。

 

それ比べて私は。

・・・と、単純に自分も何か苦しくなるまで己を追い込まないといけないとと反省するのがこれまでの私の思考回路だった。

でも今日はそう考えたくなかった。

今の私に悩みはない。面倒なこと、厄介な人間関係、デリケートな問題、自分の健康と、あるじゃないの、ほら、あれとか・・って当てはめようとすれば当てはまる案件は出てくるけれど、私にとって、今、それは悩みではない。

不思議だけれど。あれほど悩んでいた事柄が、最近、ここにきて、一気に深刻度が低くなってきている。

能天気がいい。私は本気で能天気に生きる。できるとこまで。

いっつもヘラヘラとしてて呑気でいいわねと言われることを誇りに思おう。