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ただの毎日の中で。専業主婦の平和すぎる日常

自分の思っていること、ちょっと引っかかったこと。誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

こういう時間が好き

朝、公園を散歩する。

日曜日午前の公園にきている人は活動的な人のトップだと思う。

朝8時の時点で、きっちりお化粧して、ラケットやヨガマットを持っている人、ランニングしている人。

その中をポッテリポッテリ歩く。

 

私が朝、散歩するのは、その日一日、だらっと過ごしても心がもやもやしてこないための予備のようなもので、鍛えるためではないのです。

じい様婆さま達に二周くらい追い越されながら、たらたらのんびり、だいたい1時間歩く。帰って洗濯物を干したら、さぁて、ゆっくりするぞ。

コーヒーとクッキーを持って窓を開け、ラジオをつける。TBSにして、10時からの「安住紳一郎の日曜天国」が始まるのをワクワクしながら待つ。

聞きながら、庭に足を投げ出した。あったかい。日向ぼっこをしながら、寝っ転がってみる。足は地面に上半身は部屋の中。背中が反り返って伸びをして、気持ちがいい。顔の上を風が撫でていく。これこれこれ。風と日光と土と芝の匂い。安住さんとリスナーの面白い話を聞きながら目を閉じる。

あぁ。やっぱり私はこういう時が好き。

今日はもう歩いたからいいの。あとは一日、気ままにしよう。

朝寝坊の息子でよかったなぁ。

気負っていた恐れていた

努力なんかしなくてもいい。幸せな気分は簡単になれる。

それは、本当。私は、絶対安静の日々でも、1日の中に些細なことに心が暖かくなることを知った。それはお風呂だったり、入院食の献立だったり。窓からの風だったり。そんなことで、いい気持ちに人はなる。そのいい気分は激しくはないけれど、深く心の中にしみる。深い深いところにじんわりと入ってくる幸福感なのだ。

なのに、どうしても、何かしよう何か有意義な日にしないと、と思う癖が頭から抜けてない。

幸せな日にしたいから有意義な日にしようとしているのではないということか。

ちゃんとしているか。ちゃんとしていたか。その「ちゃんと」の基準が自分の中にあって、それを「ちゃんと」したか、にこだわるのだ。

その「ちゃんと」ってなんだろう。なんのためにそこにしがみつくんだろう。

これは仮説だけれど。勘違いをしていたのかもしれない。

育ってくるときに行動的な姉や友人の過ごし方を母が褒めた。それに比べていつも放っておけば家に居る私を見ていると歯がゆかった。「あなたももっとちゃんとしなさい」いつもそう言われたことが染み付いているのかもしれない。

バイトをするという発想もなく、毎日大学と家と往復するだけで満足している末娘は母からすると青春を謳歌できていないダメな子という認識だった。なんにも生産的なことをしない。「あなたもちょっとは本を読むとか、勉強するとか、しなさいよ。いつもぼーっとして」

私と姉は違う。好みも、好奇心のアンテナも。全てにおいて正反対だ。

でも私は、姉に憧れていた。お姉さんみたいに、「ちゃんと」したい。「ちゃんと」ができるようになったらもっと、毎日がバラ色に輝くんだろうなぁ。

そんなことをいっつも屋上の階段のてっぺんに座ってぼーっと空を眺めながら思っていた。そこでも風に吹かれて、幸せな気分だったのに、この幸せは努力してないから違う。頑張ればもっと本当の幸せが私を待っていて、そこからが本当の大人としての生活なんだと思っていた。

「ちゃんと」は怪しい。

 

今日の私はどう?また1日がなんとなく終わっていく。いいの?いいの?

私は、空っぽ。

いいの。大丈夫。

ぼんやり過ぎた1日も、誰とも話さなかった一日も、一度も笑えなかった日も、トゲトゲした日も、ちゃんと、心が緩む瞬間は必ずあるから。

ほやん・・っと緩むあの瞬間。

その一瞬をキャッチするために、私は寝て、起きているのかもしれない。

 

波をキャッチ

 昨日、テレビで、NHKためしてガッテンだったかな、台所をしながら聞いていただけなのだけれど、ハッとすることを知りました。

何か、危険なものがないか、注意深く物事を見るときに、そこだけをぎゅっと凝視するより、全体をぼんやり眺めるくらいの焦点の合わせ方のほうが、異常や異変に気がつく確率が高いそうです。

工場で異物がないか点検する人、ドライバー、など。

一箇所を見よう見ようとするより、ちょっと広げた視野から俯瞰して見る。その方が小さな変化に気づく。

あぁ。子育てもそう。毎日なんとなく、眺めていると、ある日、ん?って思う。そういう時は、なんかある。

毎日、なんかないか、今日はどうったったかとやってると意外と見落とす。

そうやって考えるとなんでもそうなのかも。

献立。バランスがどうか、たんぱく質は、野菜は、と一回一回の食事に気を使うと私の場合、帰ってアンバランスな食卓になってしまうことが多い。とんかつを揚げるだけでも真剣勝負なのに、肉の倍以上の野菜がいるらしいから、どうしよう。えっとえっと。コロッケなんかだと、もう大変、炭水化物だから、たんぱく質もいるわね、えっとえっと、卵でも焼こうか、生姜焼きでもつけようか。結局鳥の唐揚げかなんか、付け足しに買うと、家族は大喜びで唐揚げばかり食べる。

コロッケも、とんかつも、キャベツにブロッコリにトマトと簡単な味噌汁。野菜は後日、野菜メインの献立にすればいい。

そういう融通が下手。

力を入れすぎて、全体を見られず、不本意な結果になる。

充実した1日にしようとするから、何をしたらいいか、気ばっかり焦る。

成長しようとするから、楽しさよりもためになるものを選ぶ。

失敗するまいと力を入れすぎて、失敗をする。

いいこと書こうとすれば、ブログを書くのも億劫になる。

 

力を抜いて。私。

 

今日もぼんやり。昨日、買い物途中に行ったブックオフで、なんとなく買った本が意外と面白くて、じんわりじんわり元気回復。ほぅら。安い本屋だから、外れでもいいやって直感で選んだのが、大正解だった。

 

力を抜いて。直感をもっと信じて。

成長しようとしないで。

今を楽しんで。私。

曇り

曇り。太陽は隠れている。暗くはないし洗濯物も干せる程度の空。

曇り。私も曇り。寝込んでもいないし洗濯だってできるほどには元気。

「何怒ってんだよ」

「怒ってないよ」

「なんだよ、怒ってねぇのかよ」

いつものように「朝ごはんできたよ〜!」っていうのが快晴ならば今日は曇り。

頭が重く、体がだるい。できれば話したくない。

私が日光が出てくると元気になるように家族も私が笑うと元気になるのかな。

悪かった。私のせいで朝がら気分を沈ませてしまったんだな。

・・・。

いや。

お日様だって自然の摂理で曇ったり晴れたりする。

宇宙のパーツの一つの私もその中の生物。

無理しない。無理に元気を出そうとしない。しない。

どんよりした日は曇りの日。

雲がどくまでじっと待とう。

 

思い込み

白い鳩が戯れていると思い和みかけたら、おじさんが空中自転車漕ぎをしていた。

 

あの人はこういう人とか、あの人にこう思われた、こう言われて傷ついたとかって、案外こんな思い込みの間違いもあるのかも。私のこれまでのエピソードに関しての考察。。。。

その人の使った言葉や会話から人を分析したり解釈したりするのはやめることにしよう。

安心していい

今日は久しぶりの検診だった。

死ぬかもしれません、から、回復しても日常生活は難しいになり、ベッドから降りてはいけないから、トイレはよしになり、フロアは歩いてよし、一階の本屋売店はよし、退院、一週間ごとの検診。それが一ヶ月ごとになるまで、倒れてから4年かかった。

今年、6年目にしてやっと二ヶ月ごとの検診となっている。

思えば遠くにこれたもんだ。

いつも病院にくると、ちょっと懐かしく、また、おごりかけていた自分を引き締める。

生きている今。

この感覚、触覚、感動、悲しみ、苦しさ、切なさは一瞬の風のように私の体をすり抜けてゆく。感じるために神様から借りた身体。

私はいつまでと神様に約束して借りたんだっけ。

確か

「ゆっくりいろんなものを見て感じたいから、長めに」

と頼んだ気がする。

たくさん失敗しても、するっと身体を抜けたら、そんなこともありましたねぇというだけのこと。

誰が私をどう思おうと言おうと、それこそ、そんなこともありましたねぇ。。。

通り抜けたあと、強烈に思い出すのは案外、ゲラゲラ大笑いしたくだらないことだったりするんじゃないかな。

 

今日、先生が言った言葉。

身体の調子が、よくなったり悪くなったりしてるように思っても、必ず前進してるんです。後退するってことはないですから。螺旋を描いて上昇していくのです。後退してるように思ったら、見える角度が変わったんだと思えばいいです。

 

くるくる螺旋を描いて遠く遠く高く高く呑気にふわふわ上昇していいんだよ。

私を包む風船は、どんな時も割れないで包んでくれる。

安心してそこにいて大丈夫。

 

 

なんか嬉しい

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おまたせ〜〜。

って太陽が言ってた。

 

今日は朝から姿見せてくれてありがとう。

やっぱりあなたに会うと『よしっ』って思う。私も誰かの光になれますように。