お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

お熱にはやっぱりアイスクリーム

姉が昨日、熱を出した。

「お母さんが今来て、お姉さんが熱あるから今晩、ご飯一緒は無理だって」

ベッドで寝ていると夫が来て言った。

よかった。私もこの状態では辛いところだった。

昼過ぎ、隣に顔をだす。

「熱だって?何か買ってこようか」

薬とうどんと豚肉、ネギを頼まれた。あの子が倒れるなんてよっぽどよ。ストレスかしら。会社の人事で仲のいい人がいなくなったりしたから。不安を一気に吐き出す母。ふむふむ。そうかもしれないね。疲れが取れていいかもしれないよ。今日1日、ゆっくり休めばよくなるよ。

「そうね。そうね。あ、あと、アイス、買って来てあげて。安いのじゃなくて、ハーゲンダッツみたいの」

75歳が51歳の熱にやっぱりアイスクリーム。いつものより高いアイスクリームを食べさせてやりたいと思うのだ。

母なのじゃのう。

 

 

おばあちゃん

とんちゃんは朝起きると、そーっと台所の横の畳の部屋をのぞいた。

いつもはお母さんがミシンを踏んでいる部屋に今日はおばあちゃんが寝ている。

昨日、泊まりに来たのだ。吉田のおばあちゃん。そう呼んでいた母方の祖母。電車で二時間離れたところに一人で住んでいる。半年に一回、本当にたまにしか来ないから、とんちゃんにとっては一大イベントなのだ。この時ばかりは友達の誘いも全て断り、家にべたっと張り付いておばあちゃんのそばにいる。

とんちゃんは、いつものように、「おばあちゃま、起きてる?」と声をかける。

「起きてるよ。どうぞ」

そう言われ、そそっと中に入り、布団の中に潜り込む。あったかい布団の中に入れてもらって、お話を聞くのが好きだった。

祖母のお土産はいつも、子供の好きなものを持ってくるのがうまかった。

工場ででた、廃棄するB4の無地の紙をもらってきて、一つ一つ、半分に折りたたんでバインダーに閉じ、姉と私にそれぞれノートみたいにしてくれたもの。端切れで作った黄色いウサギのぬいぐるみとその着せ替え。庭で積んだ野菊をブーケみたいにしたもの。どれも「うわぁ」と叫びたくなるものだった。

「こんなガラクタばっかり」

と母は言うのだが、とんちゃんは「今日は何だろう」と楽しみだった。

「おばあちゃん、今日、何時までいる?」

「そうねえ、お昼過ぎには帰るかな」

「私が帰ってくるまで、いる?」

「そうねぇ」

「いて。私、早く帰るから。待ってて。帰ってくるまで待っててね」

これがお布団の中でのいつものお約束だった。

学校が終わって、すっ飛んで帰る。まだおばあちゃんがいるか、それだけを祈るように思いながら走る。

「ただいま、おばあちゃんは?」

母の声で「もう帰りましたよ」と聞くとき、がっかりする。

「おかえり」ケラケラ笑いながら祖母が現れるときもある。

今日はどっち。今日は間に合う?

帰っちゃったかな。いるかな。いますように。神様、おばあちゃんがまだいますように。

今、とんちゃんは老人ホームに行く。

覚えてるかな。わかるかな。今日もおばあちゃんが私を覚えていますように。忘れていませんように。

「あら、いらしゃぁい」

100歳になったおばあちゃんは、両手をパァにして上にあげ、今もケラケラ陽気に笑って私を出迎える。

そのまんまが愛おしい

バカなのですと、言い切ったらとても気が楽になった。

そうだそうだ。バカで何が悪い、それが私だ。私はそんな私が大好きだ。

と、ここで書いたら強く、自分自身に伝わったような気がする。

こんな全く独りよがりのことにお付き合いいただいた皆様、申し訳ありませんでした。そして、ありがとうございます。

地球の日本のどこかに、私のこのくだらないつぶやきを読んでくださる誰かがいるんだというだけで、不思議な力になります。ただ、読んでくださるだけでいいのです。

本当に、ありがとうございます。

 

夫が私が熱があると言ったら「ふぇーん」と子供が困ったときのような声をだして、そして流した。これは、いつものこと。そして私はこういった小さなささくれに、いちいち傷ついた。

この人は、私が倒れて救急救命室に運ばれた数日前に、台湾旅行に行こうと言い、私が体調がよくないから行きたくないと言うと、「飛行機のマイルが無効になっちゃうから、繋ぐだけのために空港で折り返してくるだけでもいいから」と粘った男。

当時の私は、この言葉に一人隠れて泣いた。優しくされたい。大丈夫かと労ってほしい。拠り所を求めていたのかもしれない。まさしく死にそうなほどの絶不調を察して欲しかった。めんどくさいやつだった。

今の私の拠り所は、自分。だから、拠り所を人に求める必要がなくなった。

すると人に求めるものが減った。

バカ丸出しの自分が急にとても愛おしくなってきたとたん、夫のこともわけわからん変な相棒だと愛おしくなる。不満は不満であるけれど、存在自体は愛おしい。まるで息子に対する感情のようになってきたのが自分でも驚く。

「ふえーんってそれだけかいっ」

夫にツッコミを入れながら、カレーを作っていると、「おおっ。トンさーん、見てこれ」とガス台にやってきた。

「ほら、これ、初めて600点越えした」

嬉しそうに英語の単語のスコアを見せる。

「よかったねぇ、カミさんの病より、スコアか、君は」

「あ、ごめーん。でもさ、初めてなんだもん、ごめーん」

「うるさいっつ、もう、あっちいけっ」

愛すべき相棒にもハナマル。

私たちはメンタル的にも生活力においても凸凹コンビ。私の変人具合を夫は面白がり、私は夫のこのマイペースに助けられてきた。私が鬱で悶々としているとき、彼のこの我関せずはどんなに私を救ったことだろう。

なんにも見えてなかった。わかってなかった。

みんなそのままが一番いい。