お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

ぴかっとの志・・・ちょっと臭いかなぁ。。照

視野を広く持とう。

日々のことを大切にする。そういう生き方が好きで、そういう自分でありたいと思ってきた。

けれど、ちょっと言葉の解釈が違っていたかもしれない。

日々、家族。つながり。愛。

すべては愛なのだと、理不尽だなぁと思っても黙っていた。

毎日の食事を作って、掃除洗濯をして、人に優しく。

そうしていれば、大きくそれることはない。そう信じていた。

もっと広く。

家庭内、家族にぎゅっと目を凝らさず。

世界、地球、宇宙の中の一つのパーツとして、活気ある細胞でいよう。私個人の魂がピカッとしていよう。

宇宙を照らすように。

もう人の機嫌に責任を持たなくていい。

私が責任をしっかり持たなくてはいけないのは

私の魂の輝きだけ。だけれど、必ず責任を持って輝くことを怠らないようにしよう。いじけず、すねず。戦う時は戦い、こだわりを持たず、感謝する時は頭を下げて差し伸べられた助けを受け取り、泣きたい時は声をあげて泣いて、腹をたてる時もどこかにガスを抜き、腹を抱えて笑い、怠けながら、笑いながらくるくる回転しながら光を放つ。

宇宙に向かって、宇宙に向けて。

振り払い、前進。ただ、前進。

この四、五日、時刻より先に行っている、といった感じの毎日だった。やらなくちゃいけないとこと、やっておきたいこと、日々のこと、合間合間に挟まってくる母からのお説教とダメだし。

 

今回の件で一つ、抜けられそうかもしれないと思ったこと。

私はずっと母が恐怖で、今も逃げている。

接触すると、翌日、熱を出す。本当に申し訳ない。

墓参りや、夫の送別会を開くからいらっしゃいとか、この数日、密接な時間が多い。以前の私なら、またしゃかりきになって走り回り、自滅仕掛けているところだ。

不思議な変化に気がついた。

以前、私が倒れた時は、認められたくて、ただ、一人の成人として扱われたくて、働き、気を使い、全てにおいて、落ち度がないよう気を張り詰めていた。怒られれば、機嫌がなおるまで様子を見て、批判されれば、すぐ、言われた通りにやり直す。それは、終わりがないサイクルなので、常に突っ込まれないよう、細心の注意を払っていた。

毎日苦しかったよ。

実家天国ってどこだよ。よく、一人で泣いた。ジメッと。悲劇の主人公で。

あるところで、ピッと線引きをすればよかったのだけど、怖くてできなかった。だって、本当に言葉の暴力のダメージったらないっすよ。血縁からのってのは。実母ってのは。

 

今は頭の中に単身赴任の準備という課題がどっかりと締めているので、母とのやりとりにいちいち、打ちひしがれている時間がもったいないというのもあるけれど、私はもう母にすがっていない。

どうも、そんな気がする。

振り切って振り切って前に進む。

夢中になって前に進んでいると、母の言ってくることやってくることが、時として邪魔くさい。

嫌な顔をしたり、困った顔をしたり、「大丈夫だから」と言ったり。

これらが気がつくと自然にできていた。まぁ、それっぽっちで敵も簡単に引き下がらない。むしろ、激情し、友人に電話をし私の悪口を言い、姉に言い、また、いとこに電話し悪口を言い、そしてラスト、また私に言いに来る。今度は自分がいかに傷ついたかと泣きながら。

タフなのだ。

でも、それくらい強烈な人だということは、多少、振り払ったところでへこたれないのだ。そこにやっと気がついた。

本当、今頃、なんだよ、48にもなってだが。

今でも、彼女に荒い態度をとった後、どよんと落ち込む。

が、前に前に。今は前に。

ふっと力の抜けた瞬間、純粋に感謝の念が浮かぶ。でも、もう、そのままでいい。期待に応えない。理解されようとしない。むしろ、生意気な娘と思ってもらいたい。

責任をあちこちとろうとするのは自分の保身のためだった。

もう、いいや。もう、私が私を承認すれば。私の生きる道を私が承認していれば。迷っても迷っても、自分で梶をとる。

 

人はそうやって生きていくものなのだろうか。

私の居場所

夫の単身赴任の準備を一人、地味に淡々と進める日々。

昨日は100円ショップで細々したものを一気買いした。

洗面所に置く、コップ、一人で食べる食事の茶碗、など、揃えているうちに不憫になってくる。せめて、箸は陽気な緑の縞が入ったものにしてやろう。せめて洗面所のコップくらいはピンクのハートが飛んでいるものにしてやろう。どれを選んでも100円なので、思う存分、派手で陽気な色柄ものをかごに入れた。

今日は母と墓参りに行く。父方の祖母の誕生日なのである。生誕108歳。この人も、今、生きている方の母方の祖母に負けず劣らず、気の強い、元気な人だった。父が62歳で死んだ時、91歳だったが、その時は、まだかくしゃくとしていて、株もやっていたし、洋裁もしていた。当時、2歳だった息子と、茹でたトウモロコシを本気で取り合いもしていた。父の癌を彼女には高齢だし酷であろうと、みんなで隠していた。だから最後の入院も、当然、息子は帰ってくると思っていたのに、死んでしまった。その晩、祖母は声を叫びあげ泣いていた。自分の部屋で。そこから、急に生気を失った。二年後、風邪を拗らせて、簡単に逝ってしまった。気も強く、かなり頭が良く、それゆえの底意地の悪さもあった。母は相当泣かされたと今でも恨んでいるようだが、私は好きだった。

本当は一人で行きたかった。

祖母のことを本当に好きではない母とは行きたくなかった。しかし、あえてそこにこだわる母に「こなくていい」とはいえず、母も「私も行かなくちゃいけないと思っていたから」という。単身赴任準備の息抜きにならない。

テレビと雑誌に取材されたお蕎麦屋さんがあるから奢ってあげるわよと、母は10時半に出発と、昨夜言って帰っていった。

お蕎麦は美味しかった。天ぷらもサクッとしていて、教わりたいくらいっだった。

墓地も抜けるような青空の下、いい空気が流れていた。

そこでゴシゴシとタオルで墓石を磨く。生誕、108歳、おめでとう。空に響くよう、大きな声で、孫の、子供だった頃の私のような口調で言いながら、力を込めた。

ここには父もいるけれど、いつも、父にばかり話しかけて、祖母には誰も声をかけない。今日は祖母にだけ、話す。主役だから。

 

渋谷で母と別れ、ほっとする。やっぱり、妙な緊張をしていたんだ。ビッグカメラで赴任先のインターネットの設置の相談をする。少し、自分に戻った気がする。

店員さんがやたら専門知識に深く、丁寧に説明してくれるのが嬉しい。この人はここがぴったりの居場所なんだろう。生き生きと自信にみなぎって見える。

自分はここに馴染んでいない。母と一緒の時より、自分らしい自分になっているけれど、今の私もちょっと違う。

デパートで、服を見る。全然、居場所がない。いて、ワクワクもしないし、居心地も良くないし、店員さんに話しかけられそうになると、逃げるくらい、馴染めていない。

ツタヤに行ってみた。あぁ。ここだ、ここだ、本、コーヒー、DVD,この感じなら居やすい。中学生の時に夢中になって読んだ本の復刻版が出ていたので、迷ったけれど、買う。1400円。SFの少女漫画チックなラブコメディだった。登場人物のコテコテの胸キュン会話に今でもキュンキュンした自分が嬉しかった。これを手元に置こう。いつでもキュンキュンできる。

浮かれて、一番上のフロアのアート専門を除いた。ロックがかかり、前衛的な写真集や、ファッション哲学の本、渋谷の一番とんがったものがたくさんあった。

自分の時空間とかけ離れた世界。ここまで翔んでしまうと、居心地云々よりも、強い刺激に惹かれた。つい、何冊か手を伸ばす。BGMの大音量と客層の会話の速さと、そこに置かれている商品の主張の強さに数分もいると、頭の奥が痺れてきた。なぜか急に足がガクガクして、強い睡魔に襲われてきた。

 

帰ろう。もう、帰ろう。

フロアを降り、SFラブコメを買い、地下鉄に乗って自分の駅に着いた。

駅の上のいつものドトールでブレンドS、220円。本を広げる。

ゆるい、音楽と、近所のおばちゃんたちの会話。ああ。ここだ。

自分に戻ってきた。

家に着く。台所に立つ。

そう。やっぱりここだ。ますます自分に近くなる。

そうだ、この自分の居場所に感じる違和感と居心地について思った今日のこと、書こう。食事の支度が済んで、家族が帰ってくるまでの今、パソコンを開く。

ブログを書き始めると、夢中になって話し出す私。

今日ね、お母さんとお墓参り行ってね、嫌だったんだけど、でも仕方ないからね、行ってね、お蕎麦食べてさ。でもやっぱりあの人とは居心地良くなくて、それで別れてから、落ち着く自分に戻りたくて渋谷ウロウロしたんだけど・・・。

 

あぁ。

湯船に浸かった時に漏れる、ああぁ。。

今の私は、この場所が一番自分自身に戻れるところだ。

そのための1日だったのかもしれない。今日は。