お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

帰ってきたものは

布団の件である。

一ヶ月半をかけ無事に戻ってきた羽毛布団は以前よりも明らかにふかふかになった。

その晩楽しみにベッドに潜ったのだが、アレ?・・違和感を感じる。

なんか違う。

その晩は羽毛を覆っている布地が違うからだろうとそのまま眠ったが、それでもなにかが違う。

もしや。いや、そんな。

どうやら私がつい最近まで使っていたものは打ち直しに出した息子が使っていたものより数ランク上等なものだったようだ。

同居していた父方の祖母が亡くなった後、遺品整理をしていた母が「私は使わないから持って行きなさい」とよこしたものだった。当時は息子がまだ幼稚園でそろそろ彼にも大人用の布団を買ってやらないとと思っていたところだったので、ありがたく頂戴した。

しかし、いくらなんでも亡くなった人の使っていたものを、幼児の息子に使わせるのもと私がそれを使い、息子には私のものを譲ったのだった。

そう。息子が使い、直しに出したものは元を辿れば私の嫁入り道具で、わたしが最近まで愛用し、今は息子のベッドで彼を温めているものは、亡き祖母の形見なのである。

もう足にすね毛の生えている青年に形見も何も関係なかろう。

若かった頃の記憶では、随分と上等な布団を買ってもらってしまったということになっていたので、打ち直しを経て、また自分で使うことになり密かに「しめしめ」とほくそ笑んでいたのだが、とんでもないことのようだった。

その昔、嫁の立場であった母が、お姑様のためにと購入した羽毛布団は娘の嫁入り道具とは比べにならないくらいの、超上等なものだったに違いない。

ああ。あれを安易に手放すのではなかった。

母の愛だとひんやりした夜になったので、とりあえずにとカバーを付け替え譲ったが本人はそれすらも気付いておらず、毎晩ぬくぬくと肩まですっぽり被り熟睡している。

「カバー洗濯するときに入れ替えちゃえばいいじゃない」

茶飲み友達はそういうが、それは母としていかがなものか。

やっぱりそっちがいいものだったから返せというのは、母として人として。

あれから数日、認めたくないが明らかに以前のものの方が軽くて暖かい。

毛布を重ねていた頃と比べても、暖かさ的にはそっちの方がよかったかもしれない。

フワフワしているその間から空気が入り、肌に隙間を作る。痩せている身体にはその隙間を埋めるだけの肉がない。

昨夜、夜中に目が覚めたので先日まで臨時でかけていた薄がけの羽毛布団を二重にのせた。

すると、優しい重力と薄がけ自身の羽毛とが相まって上から私を包み込みなんとも言えない至福の寝床に変身した。

あ、これでいい・・・いや、これがいい・・むしろこれが一番だ・・・も、こりゃたまらん・・・。

たまらんのである。肌にくっつく感じも、その暖かさも。

11月から二枚重ねの奥の手を使ってしまってこの先どうするんだという一抹の不安はあるものの、今はこれで満足だ。

二度と青年の汗と脂の混じった匂いのするものと、取り替えようなどとは思うまい。

そして今朝、寝坊した。