お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

今のワタシといちばん仲良く

母が太ったと気にしている。

夏から体重が増えて戻らないらしい。

「結婚してから体重と洋服のサイズか変わらないのがずっと自慢だったのに。ずっと7号だったのに、もうダメ。どの服もお腹のところがプクって。」

「いいじゃないのおばあちゃんも晩年はそんな体型だったじゃない。いよいよ老年期に入って長生き体型に変化しているんじゃないの」

言いながら「102までいくのね。この人も」とおかしくなる。

乙女は昼御飯をクラッカーとチーズですます。「朝ごはんが遅かったからお腹すいてないもん」

7号が小さくなったなら、どんどん素敵な9号サイズを買えばいいじゃないか。

 

そうは言っても私もやはり未だ大きく減少した体重に抵抗がある。

頬がげっそりした自分の顔がスーパーの鏡に無防備に映っているのを見るとゲンナリしてしまう。

そしてかつて着ていた9号の一張羅スーツを、いまだ未練たらしく持っている。

また似合うようになるかもしれない。

いやいや、そんな日はもうこない。それよりさっさと今の体型と仲良くなって、それなりに似合う服を探した方がよっぽど生活が楽しくなる。

 

どうして我々は昔の自分にしがみつくんだろう。

単にお金が惜しいのか。出費の問題ならもっと別のところでもキツキツ節約しているはずだ。

夫の服のサイズが変わったら「あらぁ不経済な人ね」と軽口叩きながらも迷わずさっさと大きなものに買い換える。

おそらく昔の自分への執着があるのだろう。そのサイズを着ていたときの自分が一番輝いていたと思い込んでいる。

だからサイズが変わることは現役じゃなくなる、輝きから離脱したと捉えてしまう・・・のではないだろうか。

私に関してはそうだと考える。

母と話した余韻から、クローゼットに遥か昔の一張羅を隠し持っているのが馬鹿馬鹿しくも思えてくる。

あれ、処分しようかな。