進むぞ
それは突然やってきた。
ついにお亡くなりになってしまった。Mac Pro君。作業中、突然バッと画面を真っ暗にし、もう二度と立ち上がることはなかった。
でも納得のいく別れ方でよかった。シャットダウンして次に立ち上げようとした時に起動せず、ああついに壊れたかとガックリするより、力尽きるその瞬間に立ち会えた。
よく頑張ってくれたなぁ。
4ヶ月の入院生活から家に戻り、しばらく経ってからやってきた鬱を断ち切る足がかりに自分で決死の覚悟で銀座まで買いに行った。
どうしてパソコンだったのかはうまく説明ができないが、死ぬまで納戸に引きこもっているわけにもいかないと、少し状態が落ち着いた時、友達と連絡をとる勇気もない、外に出歩く勇気もない、でも何か、なにか一歩進んでみようというとき、思いついたのだった。
この機械で文を書き心の中を見つめ、映画を観て生きていても無意味だと思っていた時間を埋めた。しばらくすると、料理のサイトをみはじめ、それまでただ並べていただけの食事に手をかけるようになった。息子がその変化にすぐに反応し食卓で会話が戻り始めた。
納戸から居間へ台所へと扉を少し広げることができたのは彼のおかげだ。
それだけに別れは切ない。
アップルのサイトで調べると型番が古すぎで引き取ってはくれるが下取りの対象外だった。
私の手元を離れると廃棄処分されるのか。
昨日半日かけてしつこくどこかでこの子をゴミとしてでなく引き取ってくれるところはないかと丹念に丹念にiPhoneで検索すると1つだけ見つかった。
住所を見ると兵庫県加古川市。奇しくもつい昨年まで夫が単身赴任していたところのすぐ近く。
電話をすると受けた女性がそっけない。
「5年以上前はお値段がつかないことがあります、それでもどうしてもっていうなら送ってもらって、査定しますけど。5年以内のが欲しいんですよね」
んまっ。こんな人のところに渡すものかと
「ありがとうございます、じゃあもう少し考えて、お願いするようだったらまた連絡をします」
と切った。
それからもう一度探してみたが、引き取ってくれるのはここしかない。
工場出荷状態にまで初期化し、データもすでに抜き取ってあるのでもはや私の全てが詰まっているわけではないが、もしどこかで生まれ変わることが可能ならそうしてやりたたい。
そうすることで私も晴れやかに次に進める気がするのだ。
もう一度その会社のホームページをくまなく見ると、MacBook Proの下取り価格表がずらっと並んでいるページを見つけた。
トップ画面で10年前のものでもいいとあったので即電話してしまったが、こんなページがあったのだった。
ドキドキしながら表を見る。
型番と番号と口で言いながらずっと上から見ていくときの気分は合格発表の掲示板に受験番号を探している時と似ている。
・・・・・
・・・・・
・・・・?・・・!
あった!
ちゃんと受け付ける枠に入っているじゃん!
もうそうなったらお姉さんが感じ悪かったとかはもうどうでもいい。
そうだ、あの人がたまたま疲れていただけかもしれない。彼女の向かいに座っていた人は、それはもう親切な人だってこともある。
都合のいい解釈をする。
電話で凹んだので、ホームページから申し込むことにした。
あれこれ住所、氏名、梱包材はあるか、届けてもらうか、査定額を連絡してもらってから入金か、即入金か、銀行名と名義、口座番号など入力し、取りに来てもらう日時を指定する。
よかった。嫁入り先が決まった。
これでどこかの工場でペッチャンコになるのは避けることができた。
依頼受付完了のメールが送信されてくると何か責任を果たせたような安心した気持ちになる。
それからだ。
今度はマック君のお清めである。私の手垢でうっすらと汚れたキーボードや本体の蓋などを拭く。誰も部屋にいないので「ありがとねありがとね」とブツブツ声をかけながら汚れを落とす。そして買ったときの箱にそっと戻した。
なんだか棺に納めているみたい。
思わず手を合わせた。
さあ。
別れの儀式はちゃんとできた。
彼はこの先どう生まれ変わるのか。解体され、使えそうな部品だけ拾われるのか、それともOSを入れ直されてまた中古品としてどこかで売られるのか。
私も次のステップに進む準備が整っているということなのだろう。きっとそう・・。