お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

深く頷く

先日の息子との会話のとき

「私はなにができるんだろう。人間なにか1つ必ず才能があるはずなんだけど、未だ見つけられないわ」

それに対し彼の呟いた言葉が後から響いてきている。

「笑え。笑ってなさい」

笑うことが難しいときがあった。数年間笑わない時期があった。

いつも声のトーンが低く、疲れたような途方にくれたような顔をして、ただ淡々とやるべき家事を義務としてこなし、あとは納戸にこもって本を読んでいた。

当時は自分としてはその状況に慣れ、むしろ籠ることに夢中だった。

おかしな話だが消えてしまいたいほど絶望しているのに、全てをシャットアウトして狭いところに閉じこもる日々は繭の中にいる安らぎのようで幸福だったのかもしれない。

あのときは周りがみえていなかった。

息子とも夫とも会話をしていたはずなのに記憶がない。

どんな食事を作っていたのか、洗濯はどうしていたのか、掃除はしていたのか、まったく覚えていない。

早朝、日が昇る前に散歩をしたっきり一歩も外に出ない日々だった。電話もでない。居留守もする。

そのおかしな生活を本人がそれほどおかしいと思っていなかったのは夫も息子もそれに対しなんの反応もしなかったからだと今になって思う。高校生だった息子も「お、ここいいなあ」と狭い基地をちょっと覗いて笑っていた。

「母さんさ、昔はなんかちゃんとした奥様っぽかったけど、なんか最近・・・なんていうか・・」

息子がiPhoneから目を外しこっちを見た。

「なに?最近」

品が悪くなったとご注意かしら。

「なんか・・能天気っていうか。あ、いい意味で!いい意味でな。昔は踊ったり冗談にのってきたりしなかったよ、もっとクールっていうか」

ああ、そうか。そうかもしれない。

いつも正しくキチンとしていたかもしれない。家事を楽しむなんて感覚はなかった。これでいいのか、これで抜かりはないか、これで文句はいわれないよね、息子とのやりとりも母としてどうあるべきかと自分でこさえたテキストと照らし合わせていた。

もう、あんなには頑張れない。あのパワーはどこからきていたのだろう。

怒り。何かに対する、おそらくそれは主に母に対する怒り。それをどこにぶつけることもできなかったのだ。

あるときからスコーンと母を飛び越えた。過去も記憶もすべて大きな箱に詰め込んで捨ててしまった。

結局現実を作り出しているのは私だったのだ。母には母の悲しみや葛藤があったのだと思う。そしてあたりまえのことだが幼かった私にはそんなことに想いを馳せる心は育っていなかった。

今も同じくときどき「おっとぉ!」とくるような強烈なことを言ってくれるが、なぜかそれもパンダが白と黒になっているみたいに、それこそが彼女の特徴であり、それがなくなると彼女でないのだと思っている。

「ま、今のまんまでいいんじゃん。平和だし」

「ふっふっふ。違うのだよ。息子が大人になったから私を頼っちゃいかんと思って実は辛いけど、呑気を演じているのだよ」

絶対それは違う、ボケがリアルすぎる。やらかすことが桁をはずれてるし。

鼻で笑ってまたiPhoneでなにやらはじめた。

笑っていなさい。平和だ。

息子の教えは結構真実を付いていると深く頷く自称能天気を演じている親バカでござる。