お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

氷水

 

日曜日。息子は二週間の風邪がだいぶよくなり、今日からまたバイト開始。今日から四日連続で、1日休みまた四日連続がはじまるらしい。このところすっかり仕事にも慣れ気持ちに余裕がでてきたのか、油断か、4時半起床のところがずるずる遅くなり、遅刻ギリギリに家を出るようになっていた。しかし久々の今朝は、目覚ましをワンコールで切るとさっさと一階に降り洗面所で支度をはじめる音がしていた。

やっぱり好きなんだ。あの仕事。

好きに妥協しない息子。

夫と朝食とる。今日は夫は出かけない。

洗濯物をハンガーにかけ、ハンガーにかけなかったパンツやバスタオルなどを抱えて二階に上がろうあとすると

「あ、干すよ」

夫が立ち上がった。

「ハンガーのほう、持ってって」

彼が家にいるときはこれがあって楽。

あるときから夫に対し「ああしてほしいこうしてほしい」と望むことがぐんと減った。

どこかに一緒に行きたいとか、プレゼントが欲しいとか、家事を手伝って欲しいとか。

週末になると一人で自分のやりたいことのために飛びだしていく。なんの用事もない日にも妻に埋め合わせをしようという発想もなく、ただご飯を待ち、テレビをみて、昼寝をする。なんだかないがしろにされているようで面白くなかった。

とことんその不満をつきつめた結果、所詮一人で暮らしていたなら、家事だってなんだって自分の仕事だ。

そう思うと紙に書いて頼めば買い物をしてくれて「悪いけどお皿下げて」と言えば食べ終わった食器を台所にもっていってくれ、段ボールをつぶしてくれたり、なにより「おやよう」とか「おやすみ」を言ってときどき一緒に笑ったりする人がいるってラッキーと、あまり気にならなくなった。

求めないという美しいものでもなく、自分がやるのが嫌だと思うなら手を抜くかやらなきゃいいと思うようになったのだ。調理も。掃除も洗濯も買い物も。

二人でお台所というのはもっと先でいい。

やりたくないときは私もやらない。二人でやらない。

ここに至るまでずいぶんかかったが、我が家の場合、これが全員の平和につながる。

トイレ掃除を扉を閉めてやっていると夫の声がした。

「・・・、・・たよ」

ラジオをつけていたのでよく聞こえない。

「トンさん、・・・だから、・・とくね」

聞こえないよ。もう。

「なに?聞こえない」

ラジオを消した。

「そこ、暑いでしょ、氷水つくったから。ここに置いておくね」

床にコツンとコップを置く音がした。

「いいよ、掃除してるだけだよ、今終わる」

ジャーっと水を流すと外から

「あ、そうなの、暑いかと思って」

また持ち上げる気配がした。すべて作業が終わったので、ドアを開けると目の前に水滴のついたコップを片手に夫が立っている。

冷房のない個室に踏ん張って長居しているから危険だと思ったのだ。

「ありがと、掃除だよ」

いらなかったかときまり悪そうなのを、せっかくなのでもらってグビグビ飲み干す。

「暑いかと思って」

妻の飲みっぷりを満足そうに眺める。

ありがとねと、コップを差し出すと流しに持っていった。

しかし、もし本当に私がトイレにお籠りの真っ最中だったとしたらドアの真ん前に立たれるのは嫌だ。彼にはそういったデリカシーはない。暑い→キケン→水、それだけ。

こういうところに前は苛ついたのだ。

やってと言われたらやる。

いわれたことだけ、やる。

危険だと思ったら水。たとえ妻がトイレの中だろうと。

自分がやると決めたらやる。

たとえ妻がブーイングしようとのらりくらり「ごめぇん」と笑ってやり通す。

 

トイレに氷水。

愛されてるなぁ。