お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

思いやりの心

昨日、夫はゴルフスクールのあと、やはり渋谷から神宮まで歩いて帰ってきた。

「歩くとさ、帰ってくるの遅くなってすべてに響くから今日は歩かないで帰ってね」

朝、釘を刺すと本当に不思議そうに

「え?なんで?」

と目を丸くした。

「なんでって・・あーた、先週の騒動、お忘れじゃあないでしょうね。またどん兵衛出社する気なんでしょうか」

「あぁ・・そうでしたそうでした。そだな。歩くのやめます。まっすぐな」

が。まっすぐなら帰ってくるはずの9時半を過ぎても10時を過ぎても10時半を過ぎても帰ってこない。

あいつめ・・・やりやがったな。

「ただいまー」

時刻は10時53分。

「ええ根性しとるのう・・・おかえり」

「え?」

「歩いたろ」

「!うふふ。うん。ついでにビッグカメラ寄ってたんだ」

もう完敗である。

「今すぐお風呂お入り。ご飯食べたらすぐ寝るんだよ。まだ火曜日なんだから」

「はーい」

夕ご飯をセットして先に寝ればいいだけのことなのだ。

それを詫びしかろうと、とりあえず起きているのは私の勝手な解釈と行動である。

深夜、一人っきりでボソボソ食べるのがかわいそうなのか。

私がそう思っているだけで、意外と本人は食べるものさえ置いておいてくれれば寝ちゃってくれてたほうが伸び伸びできていいのかもしれない。

私がそう思っているだけで。

私の頭の中の世界と夫の頭の中の世界。

よく夫が言う。

「トンさんさ、おもてなしの心であれもこれもってしてくれるの嬉しいけど、休みなさい」

なにいってんのよ、おもてなしっていうのは、よその人をもてなす心でしょ。私があなたにやってるのは・・。

あぁ。夫婦だってもとはよその人。

でも結婚して一番最初に「お互い思いやりの心が大事」と言ったのはあなたじゃない。

なんか思いやられてないっもっと思いやってくれっとげんなりするときがあるけれども。

私がそう思っているだけで。

そう。私がこういう時はこうやってそんな時にはこうしてあげると思い込んでいるのが「私の規格」だとしたら、彼のそれは表現方法や大事なところも違うのだろう。

だから私がなんの気無しにしたことにすごく感動することがあるのかもしれない。

「味方だから。結婚してくれてありがとう。夫婦共白髪でな」

そう屈託無く言える夫の方がひねくれていないまっすぐな心だといつも思う。

「お風呂でましタァ。トンさん、ありがとね。ご飯、いただきます」

恐ろしいほどのマイペース。

その心があるのは確か。私も確か。

もっとその確かを信じ切ってしまって私もマイペースをやっちゃっていいのかもしれない。

夫婦二人でマイペースは、未知の世界だ。

 

来週からは10時を過ぎたら先に寝よう。