お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

もうダメはダメじゃない

 

息子の風邪はだいぶよくなった。

食欲も徐々に戻り始め、夕食はカレーを食べてみるという。

こんな些細なことでホッとして気持ちが晴れ晴れとするのだ。やはり元気でいてくれることは、なによりものことだ。生きて、へこたれても強く、厄介なことにも逃げず、愉快なことを自分で見つけて出かけていく。それをハラハラしながらでも、見守っている幸せ。

「あーあ。エントリー、ひとつ、見送ることになった。俺の人生どうなっちゃうんだ、もうダメだ」

半分本気、半分おちゃらけて言う。もうダメだと簡単に言うなと、引っかかるが黙って聞き流す。こういうボヤキをやれやれと受け止めることすらありがたい。

「まあさ、ご縁のあるところにはどうなったって巡り合わせがあるものよ。今はわかんなくても、結果的にすべて、いいところに向かっている途中なんだよ」

人ごとだと思ってと怒るかと用心しつつ言ってみると

「そう、俺もわかったんだ。この前失明するかもって言われた時の一週間、あれを思うとすべての心配事はたいしたことじゃないからな。命にかかわることじゃないことは、たいていはどうってことない、気持ちが反応動くだけ」

それをわかってくれたなら。

わかった上で動揺してできる限りのことはしようと腹を括る。それが本当に腑に堕ちて自然と振る舞えるのにはまだ時間がかかるだろうけれど、方向性としてはいいぞ。

「エントリーで人生決まるわけじゃないからな。夕方、しんどいが、ひとつ書くとするか」

あの悲壮感に溢れ、苛立った声のもうダメだは、必要なんだね。一回これを言わないと次に進めない。

裏を返せばこれを口にするから、前を向けるのかもしれない。

私はずっと弱音を吐いてはいけないと、負のセリフは一切口にしなかった。

泣きたい時は隠れて泣いて、ため息すらもダメダメダメと封印してぎゅっと口を結んで、陰気に耐えた。

そんな難しく意地をはらなくてもいいのかもしれない。

もうダメ〜。よし、でも、頑張る。

そういう素直さ、かわいらしさ、身につけたい。

熱がまだ7度8分あるのー、もうダメー。

・・・だれも居ない。独り言でも意外とスッキリ。さ、買い物行ってこよ。