ああ!食べられない!
「ごちそうさま。」
スイカの皮の上にピンクのところがまだ1センチ以上ある。まだあそこは甘い美味しいところだ。ああ、この子はなぜこんな勿体無い残し方をするんだ。
御膳を下げ、キッチンでこっそりカマキリのように残った皮にかぶり付く。
息子の歯型のついた食べ残しを立ち食いしているその姿の醜さと、美味しいところをそのまま捨てる勿体無さを天秤にかけるとどうしてもやってしまう。
バナナの皮をむいた最後の1センチ。鮭の皮のこんがり焼けたところ。ケーキの生クリームのたっぷりついたセロハン。カステラの茶色いザラメのついたとこ。
そこが美味しいんじゃん!
息子がここでおしまいとする領域はお殿様のようだ。
一番真ん中の美味しいところだけ掬いとって食す。
私はサンマの肝の美味しさも、鮭の皮の香ばしさも知っている。スイカは白いとこギリギリまで食べるし、カステラはザラメのついていた紙にくっついたとこも好きだ。ケーキのセロハンについた生クリームはフォークでしごいて口に入れる。
食事が終わりくつろいでいるそのテーブルに、彼からみたら残飯で、私にしてみれば「まだ美味しいもの」が乗っかりながらみんなでテレビを見ているそのとき、気になってしようがない。
さすがに今ここで「それ頂戴」とは言えない。
スイカの食べ終わり、それ頂戴。ダメだ。
魚の皮、頂戴。・・・ううーん・・。
そのセロハンについてる生クリーム!あんなたっぷりついているのに!
家族とテレビを見ながら頭は残飯になってしまう美味しいところでいっぱいなのだ。
今朝もピンクのところがまだたっぷりあるまま、スイカが皿の上に置かれご馳走さまと帰ってきた。
勿体無い!
しかし。手がすっと伸びない。
息子が大人になってから伸びないのだ。髭を剃ったりスネ毛のある青年の歯型のついたスイカの食べ残しに、手はためらう。
ああ!美味しいのに!
子供が自分の卵から孵化して成鳥していった。
もう食べられない。美味しいのに。