お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

そもそものことに脱帽

朝起きて、お湯を沸かす。大根を切り、味噌汁を作る。顆粒の出汁の素に味噌をとき、最後に花かつおをパッと入れて火を止める。ずるいズボラのいかにも出汁をとりましたというような風味が出る。

こんなことを普通に起き上がり、普通に台所に立ち、普通にやれることにときどき「あぁ、普通の人みたいになってきたなぁ」と思う時がある。

何にも他のことは考えずに味噌汁のことだけに意識を向けている瞬間。大根を拍子切りにしようか銀杏切りにしようか、そんなことを思いながら包丁を持っている。

ギリギリだったとき、前の晩にちぎったキャベツや冷凍の野菜を入れて出汁で煮た。朝、味噌だけをとき、納豆と生卵とトマト。もっとひどくなるとレトルトの味噌汁に冷凍のブロッコリを入れた。もっともっとひどくなると「ごめん・・納豆とレトルトのお味噌汁があるからそれで食べて」と床に寝転んだ。

お玉で味見をする。

薄いかな・・なんてやっている。

奇跡だ。

自分が二十歳の息子を持つ50歳の主婦になっている。それが私か。

夫がいたから息子に出会えた。

そんなことを考えていたら、そもそも自分がここまでたどり着くかどうか以前に、存在するには母の力無くしてはあり得なかったと改めて気づく。

覚えてないけれど、お腹の中で栄養をもらった。

覚えてないけど、ウンウン唸ってこの世に出してもらった。

覚えてないけど、熱を出した日、オムツをしてた時、離乳食を口に運んでもらったとき、歩けないから抱っこをしてもらった時、病気がわかった時。

「ありがとねぇ」と思えてくる。

覚えてないけどさ、私、オムツ変えてもらってたよねぇ。あの時はありがとね。

覚えてないけどさ、お風呂も入れてもらってたよね・・離乳食とかも・・ほんと、ありがとねぇ。

めんどくさい一手間一手間を投げ出さずに。

お母さんという枠をとっぱらう。大変にお世話になった人だと今頃になって改めてそのことに脱帽する。

今、こうやって味噌汁を作れているそもそもは、私も夫も産んでもらったからこそなんだ。