お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

あれはいい子だ

ラジオを聴いているとその日のお題は「面白い子供」だった。

リスナーからの投稿を聴いているうちに息子の幼稚園の頃のことを思い出した。

お盆にお経を読みに来てくださる和尚さんがいらっしゃる。息子はどういうわけかこのお坊さんが見えるのを毎年楽しみにしていて、いつも私たちと一緒に畳に正座をし、神妙にお経を聴く子供だった。

お経が終わるとお茶を用意してある部屋にお招きし、しばらくそこでありがたいお話を伺う。そのとき決まって和尚さんは「お元気ですかな」と息子に直接、話しかけてくださる。

そして「おばあさま、お母様たちの仰ることをよく聞いて、なんでも食べて元気に遊ぶのがよろしいですよ」と言われた息子は耳まで真っ赤にし、まるでスターに話しかけてもらったかのように高揚するのだった。

そしてこの後、我が家で毎年恒例のお遊びがしばらく流行る。

仏壇の前でそれらしき響きでお経をあげるミニ坊主が出現するのだ。

「ナンミョーホーレンゲーキョー」

深々と頭を下げ、チーンとお鈴を鳴らす園児。後ろで正座していた私と母も神妙にお辞儀をする。

「ありがとうございました。あちらにお茶を用意してございますので」

彼のお楽しみはここからである。ニコリともせず「あ、では少しご相伴に預かるといたしましょうかな」と立ち上がり部屋を移動する。

和尚様にお出ししたような和菓子ではなく、お煎餅や、ぼうろ、いつもは入れてもらえない氷が入ったジュースの置かれたテーブルにつくと、

「何か困りごとはないかな」

と言うのがおかしい。

おそらく私たちが、日常の些細なことを話すとそれに対して仏様のお考えを指南してくださるやりとりを自分も真似たいのだろう。

ある時私はそうだと思いついて、こう訴えた。

「あの、最近、うちの年少になる息子が、突然癇癪起こして大声で泣いたり怒鳴ったりして困っているんです。どうしたらよろしいでしょうか」

するとすました顔をしてこうのたまった。

「放っておきなさい」

「けれど和尚さま、放っておいて、聞き分けのない、分別のつかない人間になりはしないでしょうか」

「大丈夫じゃ」

そしてオレンジジュースを一口、ストローですすり

「あれは、わかってやっとる。時期が来ればおさまるから心配するな」

と言うのだった。

大爆笑したいのをぐっとこらえ

「そうですか、あれはわかっているのですね。それは安心しました。あと、今日はここにいないのですが、本人に何か伝えることはありますでしょうか」

とさらに聞く。

「そうじゃの。・・・ないの。あれはいい子だ。大丈夫だ、心配いらない」

大真面目な顔をしてミニ坊主はお答えくださったのだった。

私はそれからずっとそのありがたいお話を頼りに彼と向き合っている。