お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

私に関しての、仮説と結論。

結論。

私の生きていること、この世に生まれてきたことに特別これといって意味は無い。

しょっぱなから、卑屈になっているのではありません。

なんでこんなに自分の生きる意味とか、使命とかにこだわるんだと思うと、そもそも自分の存在に自信がないというところに行き着く。

なんでこんな子産んじゃったんだろう。

悪いけどやっぱりお姉さんが大事だからね。

子供の頃、冗談なのか本音なのか、ことあるごとにそう言われた。

今だ、リフォームの話や相続税の話をしに来ているとき、ちょいちょい、そう言われる。

だいぶ消化し笑って流すが、それでも後から古傷が痛みだす。

つまり私は自分自身が何かの役に立っていると、わかりやすい御守りが欲しかっただけだったのだ。

これを抱えたまま母と暮らせば、自滅しかねない。

うっすらそんな警笛が鳴っていた。

 

仮に意味などはなからないとしたら。

波や山や川の流れ、季節の植物、星があるようにただ、生まれてきたのだとしたら。

 

生まれて死ぬ。

意味をひねり出し自分が必要だろうと迫る傲慢さ。

生まれて、死ぬ。

そのいっときは、誰かに委ねて終わるには、あまりに短くもったいない。

意味なんかないんだ。

なくていいんだ。

もう、そういうことにする。

嬉しいとか

楽しいとか

美味しい、おもしろいとか

そういう暖かいものを味わい尽くす。

意味なんか、クソ喰らえ。