お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

あんたに慰められても

息子がため息をついている。アルバイトでとんでもないミスをやらかしたと言う。

「現場でトラブルがあって、社員の指示をもらおうと思って内線使ったんだ」

ほうほう。

「ひと通り事情を話したら相手が『うん、状況はよくわかった。で、君はどこにかけてるの?』ってすんげぇ冷静に言うんだよ、それで『事務所です』って答えたら『うん、だろうね。ここは本社だ』って!あぁ!おれ、名前も所属も言っちゃったよぉ。もう、終わりだ、おしまいだ」

大袈裟な。そんなものミスのうちに入りゃせん。私が新入社員のときのに比べたら、どうってことない。

バブルギリギリ最後の時代だったからか、あの頃はのどかだった。

古い体質の会社だったから、女子社員はお茶汲みをするのが当たり前で、一人一人の好みを覚え、それぞれご指定のマイカップで始業、10時、3時と机に持っていく。

「あ、これ、僕んじゃない」

「すみません!」

「あれ、僕、コーヒー飲めないよ」

「すみません〜!」

こんなのは業務に関係のないことだから笑って終わりだが、わたしの粗忽さは時として事件を巻き起こす。

完成原稿と校正中の原稿を間違えて上司に提出したり。飲み会を予約する店を間違えたり。

一番血の気が引いたのは、あれだ。

終業時、やっと仕事を済ませ、さあ帰ろうというときだった。ラップトップのパソコンを閉じ、書類を引き出しにしまい、荷物をまとめ

「それではお先に失礼します」

意気揚々とパソコンのコンセントを抜いた。と、同時に右隣から

「あぁっ!」

悲痛な叫び声が。

え?なに??と思う間も無く、自分のやらかしたことを理解する。

私の抜いたコンセントのその先は、自分の机の上にあるパソコンではなく、今まさに書類作成真っ只中の課長のものに繋がっていたのだ。

青ざめるというのはこういうことか。

「ご、ごめんなさいっ。どうしよう!」

どうしようったって、やってしまったことは取り消せない。向かいに座っていた主任が冷静な声で

「保存してなかったんすか?課長」

と聞く。

「してない・・全部してない」

「課長、この人のそばで仕事するならそれくらいの危機管理せんと。やりかねないやないですか。私はマメに保存してますよぉ」

主任はケタケタ笑っている。後方で全てを見ていた副部長は「ご愁傷さま〜」とニヤニヤしながら課長の肩を叩きに来た。

「はい、居残り〜。今日の麻雀、消えた〜」

そんなぁと課長もヘラヘラ力なく笑っているが、さすがに呑気な私もこれは笑えない。

とりあえず、課長のやり直し作業が終わるまで一緒に居残ろうと席に着いた。

「いいよいいよ、帰りなさい。いたってなにも変わらないから」

甘やかされていたと思う。すみませんと何度も頭を下げつつ、お言葉に甘えてそのまま帰った。

余談だが、これを黙って見ていた当時ただの同僚だった夫がその晩電話をしてきて

「あれ、なに?課長の書類、削除しちゃったの?」

と、好奇心旺盛にほじくり、私の怒りを、買った。

それに比べれば、間違って本社に内線をしてしまったことなんぞ。

「大丈夫。お母さんはもっとすごいことをやらかしてきたけど、なんとかなった」

肩を落とす息子を慰める。彼は慎重派で滅多にヘマをしないのでこの程度のことでも深く落ち込む。

「慰めるな。母さんに慰められても響かない。」

なるほど。

息子はその後、3日は引きずっていた。