お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

その日は突然に②・・・旅立ち

目覚めると同時に昨夜のことを思い出し気分が重くなる。

さぁて、どうするか。息子はどう出てくるだろう。

たぶん、もうあの話には触れないだろう。いや、負けを認めろとまた今日もクドクド絡んでくるかもしれない。あいつにはそういう、しつこいところがある。

まぁ、その時はその時だ。流れに任せよう。

いつもの朝寝坊が今日は早く降りてきた。洗面所で顔を洗う音がする。

やだなぁ。

ガラッと扉が開いた。

「あのさ。俺、もうこれから自分のことは自分でするから。もう二十歳で大人だし。いい加減、自立しないと」 

へ?

「昨日、母さんとサンタがいるかいないかとか話しているうちに、だんだんどうでもよくなってきて。もう母さんがそう言ったからそれを信じるとか違うなと。これからは母さんがどう言おうと自分で考えたことが正しいと思ったらそれでいくことにする。いろんな人の話を聞いて、そこから自分がどう思うか考えて決めることにする。それが母さんの考えと違うとことがあってもいいんだ。だからこれからはご飯も、自分のことは自分でする。今からやれば、社会人になるころには一通りできるようになるよね」

なんと!

「そう!大正解!よくわかったね!そこに行き着いたならもう完全な大人だ。よくそこまでたどり着いたね」

嬉しかった。思いがけない展開と息子の自立宣言。そしてそのオマケに「ご飯は自分でやる」という意気込みまでついてきた。

これまで料理は嫌がるので無理強いしなかった。一人暮らしをしたらそれなりに必要に応じてやるようになるだろうと、あえて教えようとはしなかった。気まぐれで皿洗いをやるときはあったが、自分の食べたものを流しまで下げるまでが彼のやる「お手伝い」。それが昨夜までの現状だった。

それでも私がダウンすれば頼まずともポカリスエットやお粥を買ってきてくれる優しさは育っているので、それで十分だと思っていたのだ。

「もう俺のことは放っておいてくれていいから」

今夜も白菜と豚肉の蒸し物を自分でやるという。白菜を大皿に敷いてその上にしゃぶしゃぶ肉を広げて塩と酒をふってレンジでチンするだけの代物だが、切ったり並べたり自分でやってくれるらしい。

「すごい。20歳できっちり大人になったね」

教えるなら今だと、ついでに洗濯機の使い方を伝授する。蓋を開けて衣類を入れて洗剤入れて、スタート。

「これだけ?」

「そう。簡単でしょ、30分くらいであがるから、そうしたら、ハンガーに掛けて干すだけ」

おそらく、勢い込んでもそう簡単に、毎日自分で洗濯も料理もとはいかないだろう。

やり始めたものの、億劫になって立ち消えということもあり得る。

それでも、これは自分ですべきことだと目覚めたことが喜ばしい。

クックパッドを検索している息子がまた一歩遠くなる。

ついに勉強も料理もやれと言わず貫いた私の子育てはエリートを生み出しはしなかったが、不器用だけど骨太の男を作り出した。大成功だ。

一晩のうちに彼は私のもとから旅立っていた。

いつまでもサンタはいるもんと言い張る母親を、「こりゃダメだ」とひょいと飛び越えていったのだ。

もう、息子の世話は義務じゃない。

なんだか定年退職を突然言い渡されたようで、晴れ晴れとした開放感とともに一抹の寂しさが私を襲う。

あれほどめんどくさいと思ったアレコレを「そんなに嫌なら」と急に取り上げられたような感じに戸惑う。

でも、私も前進する。

息子と模索しながら新しい関わりの形を作っていく時が来た。

めでたい。

息子。おめでとう。

そして、これまでありがとう。

第二章。もう少しお母さんをやらせてください。よろしくお願いします。