お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

きっちりやりきった先

備蓄をしている。料理の。

土曜に夫が日帰りで帰ってくる。その日はできるだけ台所に立ちたくない。

なにしろ滞在時間が短いのだから、せめて家の中でまったりとした時間を共有したい。

なにか話すとか、一緒にテレビをみるとか、そういうことをしたいわけではなく、おそらく長い移動で疲れ果てた夫は帰宅早々寝るだろう、そのときに私も働くことなくグタグタと温泉宿のように過ごしたいのだ。

夫にしても母にしても、しっかり一度激しく魂からぶつかり合った相手はやがて、わたしの中ですべてを許容できる人になる。

姉とも高校時代、同室だったこともあり、物を投げ合いののしり合う、それはおぞましい喧嘩が絶えない時期があった。

息子とは反抗期のときに、取っ組み合いもしたし、互いに家出もした。何時間も毎晩のように向き合って討論もしたし、一ヶ月近く、口を聞かない意地の張り合いもした。

今、強くつながっている友人二人とは、さすがに激しいバトルもののしり合いもなかったが、感情を抑えきれずに泣いたり泣かれたり、弱音を吐いたり、家族への葛藤を語ったり、ドロドロした闇を見せ合ったことがそれぞれにある。彼女達も知らず知らず、もはや「友人」というより「親族」のような存在になっている。

不器用だ。我ながら。

でもがっつりぶつかって、相当嫌なところを見せ合うと、その人の存在が確かな物になる。疑いも、期待も、恐れも、見栄も、なんにもなくなる。

それはかなり救いになる。

「あたし今、ボロボロなんだよ〜」

と軽く言える。慰めや労りをほしがるのではなく、ただ、聞いてよぉと、呟ける。

それは私をとても強くする。

 

数年前、「この人と、もしかして離婚ってことあるかも!?」と顔を見るのも気配を感じるのも嫌だったときの私がこれを聞いたら、絶対嘘だとカリカリすると思う。あのときは、「そういう人もいるだろうけど、私のこれは違う」と思っていた。

そんなことを思いながら、ハンバーグやドライカレーをたくさん作っていた。