お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

ぽーん、ぽーん、ぽーん・・・と暮れていく

一度緩めるとどこまでも緩んでいく。

無制限でやりたいように、気分のまんま過ごしてみると、案外その方が、うまくまわっていく。

レーニングのための散歩もやめた。一番頑張っていた頃は毎日、一万歩。それがしだいに8000、6000、5000となっていった。

最低5000歩は歩こう。それなら多少、しんどくてもなんとか毎日できる。あとは家の中でも少しは立ち歩くからあわせて6000はいくだろう。

最後のさいごまで、この5000というラインはなかなか手放せなかった。

この数日、どうしちゃったんだというくらい、エネルギーがわいてこない。

単純なので、それまで知らないときはなんとかやれていたのに、数値として甲状腺低下と示されるたとたん、すっかり、頑張れない。

ポカリスウェットを飲んで、具合がよくなった頃を見計らって「いまだ!」と外に出る。はじめ調子良く、途中から魔法が切れて足が重い。それを「あとちょっと、あとちょっと」と前に進む。

あるとき、突然「こんなことしてたら死んでしまう」と思った。

突然だった。ふいに降りて来た言葉のように、ボンッと頭に浮かんだのだった。

そうだ。倒れて入院する前も、はじめはこの程度の頑張りが、しだいにエスカレートしたのだった。

こうと決めたら一直線。鶏年の私は、つんつんと一心不乱に地面をつついているうちに、周りが見えなくなる。あのときも、知らず知らず身体を痛めつけて死にそうになったんだっけ。

まさかね。とも思う。

でも、今が分れ目かもしれないとも思う。ここで自分に意地を張ってやり続けるか、降参してすべて、なるようになれとゆだねるか。

委ねよう。あきらめよう。手放そう。

方向性だけを見失わずに、流れにのっていこう。

 

それでどんな一日だったかと言えば

午前中はごろごろドラマの録画を見て、そこにやってきた母の愚痴を笑いながら聞き、またごろっとしてから、掃除をして、サツマイモを蒸かす。

洗濯物を干しに二階に上がり、寝室の机の向きをああでもない、こうでもない、と冬使用に整える。日当りのいい場所を求て配置を換え、部屋入って来たときに自然とそこに座るように動線を考え、気の済むまで探り探り。

楽しい。

やりながらこんな時間を忘れていたと思う。

歩くこと、読書の時間を確保すること、ドトールでゆっくりすることを、なんとか一日のなかに詰め込もうとやっきになっていた毎日は、いつも急いでいたように思う。

やっぱり私は家が好き。

あれをやって、これを済ませてから、あれをしようというのは難しい。

ふわふわ思いつくまま、風呂を洗い、スープを作り、ドラマを見る。二階に上がって夕日を見ながら、洗濯物を中にいれる。

たびたびやってくる母の話につきあいながら、トマトを切って、スーパーに行く。帰ってお芋を食べながらお茶を飲み、ラジオをつけて麻婆豆腐を作る。

本当はもっともっとエネルギッシュに過ごしたい。

あれもこれも頑張りたい。

ぴ、ぴ、ぴ、ぴ・・はきっといつかできるようになる。

今はこのぽーん、ぽーん、ぽーん・・・のテンポが心地いいのだから、そうする時なんだろう。

いろんな自分ノルマを放り投げたら、明日はどんな一日が待っているか楽しみになってきた。

それが、一番大事なことだったのかもしれないなぁ。