お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

ばいばい

今さっき、ママチャリが粗大ゴミの回収車にのせられていった。

その瞬間までなんとも思っていなかったのに、車の音がして、他にも処分するプリンターや芝刈り機などが、放り投げ込まれる音を聞いているうちになぜか、その最後を見届けようと窓際に立つ。

ちょうど作業員が手をかけたところだった。

オレンジのはずだったのが、白に近いクリームにまで色あせたご老体が、むんずと持ち上げられ、荷台にガンッと投げられ、車は去って行った。

 

息子が幼稚園に入園する前年、サマースクールに通うため買った。

夏の早朝、午後の炎天下、毎日長い坂道を片道5キロ通い続けた。朝は上り坂。帰りは下り坂。

昇り坂の梺にくると4歳の息子が

「お母さん、がんばれ」という。「よーし、いくぞ!」。

電動自転車だが、当時のものは幼児を乗せて坂道を昇ると、あっという間にバッテリーを消費する。長い長いどこまでも続く坂道は、フル充電されていても、最後の方では電動マシンをただの重い自転車にしてしまう。

スクールに辿り着く頃はいつも、充電切れ寸前で、ヘロヘロの私はそのまま家に引き返す。家でまた充電させて、午後またその坂を上り迎えに行く。

そして息子を乗せた帰り道、ふたりの楽しみはその坂を、ターッとどこまでもどこまでも下って行く気持ちよさ。

「ちゃんと、ブレーキしてる?」「してるよ!」「信号みてね」心配性の息子に呑気な母さんの夏休み。こうして懐かしく覚えているのはきっと私の方だけだ。

幼稚園に上がってからは、お友達のお家に自分は誘ってもらえなかったと、家に向かう自転車の上で泣きはじめた。未熟だった私はどうしてやればいいのか途方にくれ、別の友達の家に連れて行き、集まりに混ぜてもらった。

あのとき、もっとほかにやりようがあったように思う。ぎゅうっと抱きしめて「悲しかったんだね」と気持ちをちゃんと受けとめてやりたかった。なんでそんなこと、できなかったんだろう。

今でもそのことを思い出すとき、前籠の両腕の中で「わーん、わーん」と大きな声でたまっていたものが弾けだしたように泣き出した息子が浮かんでくる。

その息子も今年で成人になり、今回の粗大ごみも、二階から重いものをひょいっと担いで運んでくれた。

「あ、自転車捨てんの?こっちは捨てないだろ」

二台あるうちの、小形車輪の、ときどき図書館に乗っているほうを顎で指す。

ママチャリは、私の育児仲間だったのだ。彼にはただの古い自転車。

やがて大きくなると、前籠から後ろの椅子型に移り、前後ろで水泳教室に行った。

そして、自分の自転車に乗り始める。

思えば、どこにいくにも一緒だった、最後の場所だったのかもしれない。

助けてくれてありがとう。

お疲れさまでした。