お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

泣いてもいいんだよ

祖母の葬儀が終わり、昨日は喪中はがきの手配と母の愚痴をきいているうちにぼうっと過ぎていった。

それにしても日本の葬儀に関するあのしきたりはよくできているなぁ。

あれは、亡き人のためにあるというより、送り出す側のためにあるものなんだ。しみじみ思った。

通夜で棺のなかの姿を確かめると思わず泣けてきた。つい数日前、私にニーッと笑ったあの人が無機質なお人形のように笑っている。その事実が受けとめきれず混乱する。

焼香やお坊さんのお経、精進落とし。夢かもしれない、でもこれは夢じゃない。夜遅く家に帰り眠り、翌日、また同じ顔ぶれでお経を聞く。またお焼香をし、棺に花を入れ、改めて少し泣き火葬場に行く。お骨になったのを確かめるころになりやっと、いよいよ故人の幕が降りたんだと、現実を受け入れることができる。うまくできている。

父のときは、息子はまだ2歳で夫は仕事が一番忙しいときだった。

息子には不安を与えないよう、夫には迷惑をかけないよう、極力明るくいつも通り、もしくはそれ以上のテンションでその日々を過ごした。母は情緒不安定で、やるべきことは山ほどあり、泣いてる場合ではなかった。ほとんど記憶がない。

バッサリとメスを入れ、しっかり縫い付けたなら傷は癒えるのも早い。

実の親が死んだというのに悲しみも涙もまったくない自分が薄情にも思うほど普通に過ごしていたら、いつしか傷口はじくじくと膿んできた。

いつまでもいつまでも父を恋しがり、前進していくことができなかった。すべてが済んで、半年ほどたったころ、風呂場でいきなりわけのわからない涙がでてきたことがあった。シャワーを頭からかぶりながらはじめて声を上げて泣いた。

祖母との別れは102歳という大往生であることと、会いに行くたびに感じた衰弱から、覚悟はしていた。なのに、意外にも想像していた以上の喪失感があった。

喪主側でない気楽さからか、悲しみが素直に涙になってあふれてくる。そんな自分に驚きつつもホッとする。もう頑張らなくていい。悲しいときは泣いてメソメソすればいいんだ。

大丈夫?と夫が困った顔をしてこっちを見る。

そのとき、数日前にブログのお友達が『「泣いてもいいんだよの会」を作りましょう。わたしも我慢して頑張ってしまう質だけど、もうそんなのやめて、悲しいとき辛いときは泣きましょうね』とかけてくれた言葉が頭をよぎっていった。

そうだった。もう、ストッパーかけないんだっけ。

昔のように「へいきへいき」と差し出された手を振り払うことはしなくていい。だらしなくていい。

大丈夫か。元気出せ。来なくていいと言われたけどこういうときこそ行かなくちゃいけないと思って来た。

粋がってたころなら口ではありがとうと言いながら、心の中では「恩着せがましい。心配ご無用、私って意外と強いんだよ」と突っぱねた。同情されることがいやだった。

それがどうしたことか情けないことに

「ありがとよぉ。すまないねぇ忙しいのに」

鼻水をズーズーすすりながら、自分らしくない言葉がするする口からこぼれでる。

 

祖母がこの世を去っていった。

今回は母と夫と叔父と叔母、いとこ達と、思い出話で笑いながら、合間合間にそれぞれ涙を拭きながら、私もその輪に入り悲しみを共有して見送ることができた。

いい式だった。

ちゃんと悲しみ、よく笑った。

全員で三途の川まで行き、祖母が乗り込んだ船をそうっと押し出してきた。

お転婆な人だったから、船頭さんからオールをもぎとって、

「かして、私がやる!」

意気揚々と懐かしい人たちのところに、えっさかえっさか向かっていったんじゃないだろうか。