お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

すっとんとん

近所のママ友から「いまからお茶しにこない?」と二日連続で誘われた。昨日はちょうど散歩中、あ、こりゃ駄目だと引き返しているところだった。

「ごめん、すでに外をふらついているところ。今日はこのまま帰るわ」

ときどき買い物帰りに不意に来て、ちょっといい?とお茶を飲んで行く。もしくはぽっかり一人を持て余したとき、こうして呼ばれる。どっちも突然。いかにも気心しれた関係みたいで私は嬉しい。

以前はやりくりして誘いは基本応じた。しかし次第にそれが鬱陶しくなってきた。誘われたら断れない。これは苦痛だ。

好きか嫌いかといえば好きである。

裏表がないのがいい。ただペースを乱される、そこが課題だった。

病院でこの誘いを受けた場合は、今、病院だからと伝えると「じゃあ帰りに寄って」となる。正直なところ、病院のあとは、ひとりになりたい。全神経使って先生の話を聞くと、家に帰るまでドトールで二時間くらい放心して気持ちを立て直す。

あれこれ説明するのも煩わしいと、じゃあ少しだけお邪魔するねと疲れきっているくせに頑張って寄る。

問題は私にある。彼女はなにも悪くない。

そうしたときというのは浮ついた、心ここにあらずの会話しかできない。そうなるとわかっていながら、無理して行くというのは優しさなんかじゃない。単に私のええかっこしいのお体裁だ。

ぐいぐいくるタイプの彼女には、全身全霊で向き合わないと、つきあうことが重荷になってくる。

だからあえて「今日はこのまま帰る」と返事に入れた。

悪びれず、堂々と入れた。

届け、この思い。私たちが大丈夫なら深読みしないでそのまま受け取ってくれ。

「了解。今度はふらふらコースにうちも入れてね」

「むふ。ありがとう」

それが昨日のことだった。

そして、今。ラインが入った。

「わたし、一人よ、これからどう?」

ううむ。さすがに二日連続は・・・。

と考え、そこで気がつく。あ、またお体裁。本音はこの雨の中、今から外に出たくはない。さっきまで息子の昼ご飯と夕飯の作り置きで台所に立ちっぱなしだ。今は外より家でのんびりしていたいんだ。

朝、masheleyさんのブログで「どっちが好き」という視点でシンプルに見れば、自然と自分の好きな家具やインテリアのテイストを探せるよ、というのを読んだ。

あのとき思ったんだ。

日常のもやもやっとすることに、これを生かそう。

義理とかお体裁とかぶっ飛ばし、ぶっちゃけ今、どっちが好きか、ときめくか、ワクワクするかで選んでいけば大きく自分からずれていくことはなかろう。

小さな小さなことの積み重ねで、自分も他人も煙にまき、本音の輪郭がぼやけていってしまう。

我慢や犠牲って、愛じゃない。

我慢とか思ってる時点で愛じゃない。

「二日連続で、すまん。息子の昼ご飯と夕飯の支度で力尽きたでござる。重ねがさね申し訳ないっ」

既読はついたが今日はそれきり返信がない。

むっとしたのかもしれない。

しかしこの対応の方が救われる。

「いいよいいよ、こっちこそタイミング悪くてごめんね」なんて返されたらこの先きっと、嘘くさいお体裁付き合いをしてしまう。

 

アプリのプロフィール名を登録するのにtonとしたら駄目だった。既に使われていた。tontonも駄目。tontontonも駄目だった。

ならばとsuttontonと入力したらすぐに

「あなたにピッタリのお名前ですね」と返ってきた。

すっとんとん・・・・。ぴったりですねって・・・。確かに。

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