お気楽日和

誰かに手紙を書く気持ちで、事件性のない平凡な毎日を切り取ってみようと思います。

辰の根付け

朝食後、台所に立っていると隣の家の玄関が開いて閉まる音がした。

そして鍵をかける音。ほどなくコンコンと窓をたたく音。

母が窓にびったり顔を近づけてニンマリ笑って立っている。

「おはよ。おでかけ?」

「おばあちゃんのとこ、いってくる」

「いってくれたら一緒に行ったのに」

「そう?今日はいいの、ひとりで」

うっとうしいが一人で行かせるとなるとちょっと、健気に思う。

「この格好、どう?」

見るといつ買ったんだか、モスグリーンの薄手のダウンに焦げ茶のパイピングのしてある洒落たボレロ、濃い臙脂色とグレーのチェックの巻きプリーツスカート、足にはカーキと白のスニーカーと、決めている。

「いいじゃない、元気そうで、かわいいよ」

「そう?おかしくない?これ、16年前のスカートなのよ」

「かわいいよ」

そ。じゃ、いってくるね、という母を「ちょっとまって」と呼び止めた。

洗面所に行き、化粧箱から取り出して戻る。

「これ、いつも持って行ってあげようと思いながら渡せてなくて、おばあちゃんに」

それは、祖母が一番現役だった頃。

祖父が旅先で倒れ、急に亡くなり、夫のやっていた店を引き継いで、新宿伊勢丹の中で鉄道模型の店を経営していた。外国の兵隊さんや、お金持ちの人の趣味だった鉄道模型は、当時は高度成長期の波に乗り、売り上げをあげ、社内で表彰もされたというのが祖母の誇りだ。その当時、戦前戦後、子育て、仕事、母を嫁がせるまでの波瀾万丈時代に住んでいたのが、伊勢丹から歩いて5分の花園神社の目の前だった。

現在は伊勢丹の駐車場になっている。その土地を売り、神奈川県つきみ野に家を買い、老後を過ごした。そこでは今、母の弟夫婦が住んでいる。

「私がちゃんと生きてこられたのは花園さんがずっと守ってくださったからなのよ。」

「あんなにお世話になったのにずっと、お礼を言いに行っていない」

これが祖母の心残りであるようで、いつも口にする。その度に私は

「まだ守ってもらっている最中だよ。引っ越したって、おばあちゃんのこと忘れてないよ」

と返事をする。

母に渡したのは、花園神社の、辰の根付けだった。平成24年とある。

息子が中学受験のとき、伊勢丹に受験用の写真を撮りに行った。そのとき、もらってきたのだろうか。自分でも覚えがない。

どうして花園神社の根付けがうちにあるのか。

確かにその年は辰年だ。忘れもしないこの春、無事中学生になった息子のゴールデンウィークに私は倒れ、救命病棟に運ばれた。家族に今夜が山です覚悟してくださいと申し渡されたあの年。

そのとき祖母は施設に入ったばかりだった。お試しと聞かされ連れて行かれたまま、知らないうちに入居が決まっていて、まだ本人も帰りたい帰りたいと言っている頃だ。その祖母が不憫で辰年の彼女にあげようと前の年、伊勢丹に来たついでにもらいにいったのだろうか。

「なに、これ、あ・・喜ぶ、あぁ喜ぶわ、これ。ありがとう」

母はいいお土産ができたと喜んだ。最近祖母は食が細くなり、大好物の果物も一口、お愛想程度に食べるだけだ。毎回、なにを持って行って喜ばせてやろうかと頭をひねっていた。

「ありがとね。これ、ありがと。じゃ、いってくる」

 

30年の秋になってしまった。

祖母は102歳。

辰の根付けは辰年の祖母のもとにやっと届く。